五代・宋・元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 11:57 UTC 版)
唐代が滅亡した後、五代十国の分裂時代になり、五代最後の後周の世宗によって廃仏事件が起きた(三武一宗の廃仏の第4回目)。 北宋の統一後、宋の太祖は行き過ぎた仏教への投資をやめ、出家制度においては度牒の出売を行なって、国家財政の一助とするとともに、賜額制度、寺院の資産への課税による寺院統制を行い、やがて五山十刹制度として国家の統制の下に管理する事に成功した。 また宋代には、司馬光の『資治通鑑』の影響を受けて、志磐の『仏祖統紀』に代表される、通史として叙述された仏教史書が編纂され、その傾向は元代から明初にまで及んだ。 中国地域の仏教は北宋以降、禅宗と浄土教を中心に盛んであったが、元・清の時代には王朝がチベット仏教に心酔したこともあり、密教も広まった。 また一方で、『輔教編』を著わして儒・仏の一致を説いた北宋の仏日契嵩や、『三教平心論』を著わした劉謐らに、儒教と仏教、あるいは道教も含めた三教が融合すると主張する傾向も見られ、インド起源の仏教が次第に本来のインド的な特色を失い、中国的な宗教へと変貌を遂げて行く時期でもある。やがて、その傾向は、仏教とは一線を画した民間宗教としての、白蓮教や白雲宗として、姿を現すこととなる。同時に、それらの民間教派は、時の政府の弾圧の対象、いわゆる邪教として、取り締まられ排斥されるようになる。
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