内藤の唐宋変革論と時代区分とは? わかりやすく解説

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内藤の唐宋変革論と時代区分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 23:23 UTC 版)

中国史時代区分論争」の記事における「内藤の唐宋変革論と時代区分」の解説

唐宋変革」も参照 戦前内藤湖南唐宋変革論提唱したそれ以前は「唐宋八大家」のように、唐と宋の連続性重視する見解主流であった。これに対して唐宋変革論は、唐と宋を中国史上で国家財政経済文化大変動起きた時代位置づける後の時代区分論争においても、両派とも唐宋間で区分する点では共通していた。 また、内藤没後出版され講義録支那上古史』によれば内藤は「上古」、「中世」、「近世前期」、「近世後期」の四期区分提唱していた。この区分では、「上古」と「中世」、「中世」と「近世前期」の間に「過渡期」が設けられている。 『支那上古史』の時代区分時代開闢 - 後漢中頃 後漢後半 - 西晋 五胡十六国 - 唐中世 唐末 - 五代 宋 - 元 明 - 清 区分第一期 第一過渡期 第二期 第二過渡期 第三期 第四期 上古 中世 近世 前期 後期 前期 後期 内藤は各期について以下のように説明している。 第一期 上古 前後二期分ける事ができるが、その境界曖昧である。前期支那文化形成される時代後期はその文化外部発展し、「東洋史」に変形する時代である。 第一過渡期 支那文化外部発展停止した時代である。 第二期 中世 外部種族自覚により、その勢力反動的支那内部及んだ時代である。 第二過渡期 外来勢力支那において頂点に達する時代である。

※この「内藤の唐宋変革論と時代区分」の解説は、「中国史時代区分論争」の解説の一部です。
「内藤の唐宋変革論と時代区分」を含む「中国史時代区分論争」の記事については、「中国史時代区分論争」の概要を参照ください。

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