内藤の唐宋変革論と時代区分
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「中国史時代区分論争」の記事における「内藤の唐宋変革論と時代区分」の解説
「唐宋変革」も参照 戦前の内藤湖南は唐宋変革論を提唱した。それ以前は「唐宋八大家」のように、唐と宋の連続性を重視する見解が主流であった。これに対して唐宋変革論は、唐と宋を中国史上でも国家財政や経済文化の大変動が起きた時代と位置づける。後の時代区分論争においても、両派とも唐宋間で区分する点では共通していた。 また、内藤没後に出版された講義録『支那上古史』によれば、内藤は「上古」、「中世」、「近世前期」、「近世後期」の四期区分を提唱していた。この区分では、「上古」と「中世」、「中世」と「近世前期」の間に「過渡期」が設けられている。 『支那上古史』の時代区分時代開闢 - 後漢中頃 後漢後半 - 西晋 五胡十六国 - 唐中世 唐末 - 五代 宋 - 元 明 - 清 区分第一期 第一過渡期 第二期 第二過渡期 第三期 第四期 上古 中世 近世 前期 後期 前期 後期 内藤は各期について以下のように説明している。 第一期 上古 前後の二期に分ける事ができるが、その境界は曖昧である。前期は支那文化が形成される時代、後期はその文化が外部に発展し、「東洋史」に変形する時代である。 第一過渡期 支那文化の外部発展が停止した時代である。 第二期 中世 外部種族の自覚により、その勢力が反動的に支那内部に及んだ時代である。 第二過渡期 外来の勢力が支那において頂点に達する時代である。
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