内藤とうがらしの今昔
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「内藤とうがらし」の記事における「内藤とうがらしの今昔」の解説
元禄11年(1698年)、内藤氏の下屋敷の一角に江戸四宿の一つ、内藤新宿が開設された。江戸日本橋から数えて甲州街道で最初の宿場となった内藤新宿は、江戸と近郊農村地帯を結ぶ文化的・経済的拠点として重要な役割を担った。当時、江戸参勤中の大名は屋敷の敷地内に畑を設け、野菜を自給自足するのが一般的であった。高遠藩では内藤新宿の一角に青物市場を開き、屋敷で栽培していた野菜の食べなかった分を販売した。すると唐辛子と南瓜が評判となり、巷間に伝わった。そして、この頃から周辺の農家にも種が伝わり、内藤新宿から近郊の農村地帯(現在の新宿区西新宿(角筈)、北新宿(柏木)、中野区辺りから以西と思われる)では特に唐辛子の栽培が盛んになり、この地域の名産品となった。 明治維新後、高遠藩の下屋敷は新政府に収公され、農業試験場、植物御苑を経て現在の新宿御苑となる。合わせて新宿地区の開発とともに農地はなくなり、内藤とうがらしも姿を消していった。しかし、2009年に「スローフード江戸東京」の手によって内藤とうがらしは復活し、新宿区内において内藤とうがらし普及プロジェクトが進められている。
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