二木の人物像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 16:07 UTC 版)
かつて、オウム真理教事件に関する報道を行った。現在もその取材活動の手は休まる事が無い。記者時代は昼出勤、深夜締め切り、翌朝TVやラジオの出演といったハードスケジュールをこなしていた。 二木自身は週刊ポストや日刊ゲンダイ時代の記事について、歴史的な新事実や死者の出た事件に関する記事は念入りに取材をしたものの、その他の記事については「正直に言えば、過去には週刊誌と夕刊紙でずいぶんと飛ばし記事を書いてきた」と告白している。 作家で元長野県知事の田中康夫、「コリア・レポート」編集長の辺真一、タレントの愛川欽也などと交友関係がある。また2004年5月27日に、イラクで武装勢力に暗殺された、ジャーナリストの橋田信介は、死の直前に二木へ電子メールを送っていた。 無類の温泉好きで、「オートバイで関東地区の温泉を鬼のようにまわった」時期がある。ゲンダイでは主に左派系の記事を担当し、保守系のレギュラーコラムを書く俵孝太郎とは距離をおいていた。 「ああ言えばこう言う」を捩った「ああいえば上祐」という言葉の発案者とされている。保守系政党に対しては罵詈雑言の限りを尽くすが、ロス疑惑報道の際には、ワイドショーの過熱報道に釘を刺したこともある。他紙のように、三浦和義の事実無根の不祥事を書かなかった事から、三浦から一目置かれ、著書で名指しで「特筆すべきこと」とまで書かれたという逸話もある。 喫煙者であり、昨今の嫌煙運動について「禁煙ヒステリー」と称し反発している。2011年にすぎやまこういちや西部邁らと共に「喫煙文化研究会」を発足した。 2015年12月9日には憲政記念館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
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