乾死乃生
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乾 死乃生(いぬい しのぶ、1923年(大正12年)11月11日[1] - 2004年(平成16年)11月19日[2])は、日本の保健婦。大阪府富田林市伏山出身。大坂の同和地区(被差別部落)の保健対策や難病対策に尽力した人物。名前の「死乃生」は、帝国劇場のファンだった父親が、帝劇女優の1人が私生児に「死生」と名付けたことをヒントとしたものだが、「死」の字が人に与える印象を配慮して平仮名で「しのぶ」と表記することもある[1]。
- ^ a b c d e f g h 平沢正夫『日本の保健婦』珠真書房、1979年、116-164頁。NCID BN00461381。
- ^ a b “事務局だより”. 日本ALS協会 近畿ブロック (2005年). 2015年10月17日閲覧。
- ^ a b 乾死乃生「保健婦生活20年」『保健婦雑誌』第25巻第11号、医学書院、1969年11月、 31-39頁、 NCID AN00228436。
- ^ 長倉功 (1987年10月6日). “輝けシルバー 高齢化社会への対応”. 朝日新聞 東京朝刊 (朝日新聞社): p. 4
- ^ 福島香織 (1997年1月15日). “地域医療の新しい形 元保険婦の乾死乃生さん 自宅をデイサービス・ルームに開放”. 産経新聞 東京朝刊 (産業経済新聞社): p. 14
- 1 乾死乃生とは
- 2 乾死乃生の概要
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