乱の余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 22:43 UTC 版)
丁未の乱後、物部守屋の子孫従類273人が四天王寺の奴婢にされたという従来からの通説は四天王寺御手印縁起をもとにしている。 駆摂守屋子孫従類二百七十三人。為寺永奴婢。 — 四天王寺御手印縁起、続群書類従 巻第八百二 伝暦、御記、太子物、今昔物語、扶桑略記、元亨釈書等では子孫縁者が奴婢とされたとの説が受け入れられている。これに対し日本書紀によると奴(奴隷等の使用人、奴国、倭奴などにも使われた蔑称)との記述のみのため、後世の脚色だとする神野清一の異説があるが、日本書紀に脚色が入る可能性は想定していない。 平乱之後、於摂津国、造四天王寺。分大連奴半与宅、為大寺奴田荘 — 日本書紀、巻第二十一 崇峻天皇 即位前紀 聖徳太子伝暦では「子孫資財」としている。通説では丁未の乱で物部の子孫が絶えず、奴婢に零落して生き続けたからこそ美化された伝説でなく、奴婢として記録に残ったという。
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