乱の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/29 22:32 UTC 版)
この乱の影響と見られるものは早くも翌年から散見する。天暦2年12月28日(949年1月)に発せられた太政官符によれば伯耆国国分尼寺の焼失と再建について民衆は前年の争乱と不作で耐えられないとあり、伯耆国の民衆は是助の乱と不作によって疲弊してしまっていたことが分かる。また、国分尼寺の焼失に関してもおそらく是助の乱によって焼失したものであると考えられることから、乱は久米郡にある伯耆国衙周辺で行われたことが推察できる。また、天暦6年11月9日(952年11月)の太政官符では出雲国に押領使を設置することが許可されており、ここには美作と伯耆には天暦6年の時点で既に押領使が置かれていることが記されている。このことからも乱の影響は後々まで続き、周辺諸国の治安を悪化させる原因になっていたと考えられる。
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