出羽国、そして渡嶋蝦夷への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:47 UTC 版)
「宝亀の乱」の記事における「出羽国、そして渡嶋蝦夷への影響」の解説
呰麻呂の乱の影響は、伊治城、多賀城周辺のみならず、陸奥国そして出羽国の広汎な範囲に影響を及ぼした。出羽国でも宝亀11年(780年)に、乱に連動して蜂起した蝦夷が雄勝郡・平鹿郡を襲撃・略奪したことが記録されている。このような情勢のもと、陸奥国に派遣する征東大使とあわせて、出羽鎮狄将軍に安倍家麻呂を任じる人事が発令されたのは前述のとおりである。この時家麻呂は軍事以外にも出羽国の政治問題にも関与している。 もともと出羽国は陸奥国に比べ常備兵力が少なく、かつ乱の波及によって雄勝城の防衛に多くの兵力を割く必要が生じたため、秋田城の守備を維持することが困難になった。したがってこの頃秋田城は守衛が停止され、機能を停止していたとみられる。そのためこれまで秋田城を通じて朝貢し、饗給を受けていたとみられる渡嶋(北海道)の蝦夷に対しては、宝亀11年5月、鎮狄将軍(家麻呂)と出羽国司に、渡嶋蝦夷が離反しないよう特に懇ろに饗応すべしと命じる勅が出されている。
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