出羽国の分領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:56 UTC 版)
後期堀田氏時代、出羽国村山郡(1878年以後の東村山郡・南村山郡の一部にあたる地域)にあった分領は約4万石と規模が大きく、明治期まで存続した。 分領の統治拠点として、延享4年(1747年)に柏倉陣屋(現在の山形市柏倉)が置かれた。柏倉には藩校成徳書院の分校(北庠)も置かれ、武士のみならず百姓も学ぶことができたという。代官を務めていた田内与七郎成伸は名代官とされ、平清水村(山形市平清水)の平清水焼の振興に携わったことから同地に報恩碑が立てられている。柏倉陣屋の跡地には堀田永久稲荷神社が残る。 旧領の一部は、1889年(明治22年)に村を編成した際に旧領主の名から堀田村と称した(南村山郡。のち蔵王村に改称)。おおむね現在の山形市蔵王地区にあたり、「蔵王堀田」の地名もある。
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