出羽国の久米氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 09:33 UTC 版)
出羽国山本郡飯詰郷より起こった久米氏は、領主としては飯詰氏を名乗ることもあり、本姓藤原氏、南家藤原武智麻呂の子孫を称し、二階堂氏の分かれであるといわれている。南北朝時代の内乱期に出羽国に避難した一族が土着したと考えられる。曹洞宗の高僧道叟道愛も久米一族と伝わる。また、戦国時代、隣村六郷を本拠とした六郷氏も同族とみられ、久米姓は飯詰・六郷の所在する現在の美郷町やその周辺に濃密に分布し、また、六郷氏が出羽国由利郡本荘藩の大名となったところから、その家臣として本荘(現在の由利本荘市)へ随行した者もおり、現在では秋田県南部から中部にかけて広く分布している。
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