丹頂時代の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 15:16 UTC 版)
追い詰められた丹頂は、当時の資生堂の「MG5」のコンセプトが、”都会的なイメージに満ちたスタイリッシュな男子”を標榜していた戦略に対し、”男らしく、武骨な男”をイメージした戦略であるならば、都市部のみならず、地方でも勝負でき得る、と踏むと共に、同コンセプトでマーケティングを重ね、1970年(昭和45年)7月にチャールズ・ブロンソンをイメージキャラクターに起用した「マンダム」シリーズ(9品種10品目)を発売。これが起死回生の一打となり、「MG5」に奪われたシェアを再度奪回することに成功した。 その後は資生堂とマンダムが拮抗する中で、新たにカネボウ化粧品が「エロイカ」シリーズを送りこんで来るなど、三つ巴の戦いを繰り広げてゆくことになると共に、これまでに発売された丹頂シリーズのシェアは次第に縮小してゆくことになる。1971年(昭和46年)4月、丹頂は社名をマンダムに変更、丹頂の時代は終焉を迎えることになる。 マンダムの土台を築いた商品として、今も同社が1969年(昭和44年)に現地企業と合弁して設立したインドネシアの現地法人が持つ工場で生産されている。 現在、日本国内ではレトロなデザインの「丹頂チック」のみの発売になっている。またかつては大・中の2種類が販売されていたが、現在は大のみの販売となっている。
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