中村元樹とは? わかりやすく解説

中村元樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 00:13 UTC 版)

中村 元樹
名前
カタカナ ナカムラ ゲンキ
ラテン文字 GENKI NAKAMURA
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1987-02-07) 1987年2月7日(38歳)
出身地 兵庫県芦屋市
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW / MF
利き足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中村 元樹(なかむら げんき、1987年2月7日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ドイツペルーなどを渡り歩き、アルバニアで初の日本人選手となり、同時に初のプロ契約を結んだ。

来歴

小学5年生の時、当時イタリアペルージャに所属していた中田英寿の活躍を見て海外でサッカーをすることを意識し始める。6年次にはジーコ主催のサッカースクールに参加し、1ヶ月間のブラジル留学を経験する。帰国後も海外でサッカーをすることを考えていたが、治安や経済的負担など問題で日本の中学・高校に進学する。進学した芦屋市立芦屋高等学校ではサッカー部がなく、フットサル部に所属つつ、社会人チームのFC Breezeに参加していた。

高校卒業後、ドイツに渡りDJK Tus Hordelでプレーする。ユースの代表選手もいる中出場を重ね、カップ戦ではベスト4、リーグ戦では序盤首位を独走するものの後半調子を落とし六位で終えた。その後VfBヒュルス英語版に移り、最初の試合で4アシストを記録する。次の試合にも呼ばれていたが、試合前日の練習中に突如記憶喪失となり、検査のため帰国する。

その後代理人を通じてギリシャエスニコス・アステラスFCベトナムサイゴン・ポートFCと交渉するがエスニコスとは飛行機のチケットが送られずにテストに参加出来ず、サイゴンでは監督から「日本人は取らない」と言われ、契約には至らなかった。帰国後、高校時代に参加していたFC Breezeで試合に出ていたところ、セレッソ大阪の元ディフェンダー沓掛秀樹に声をかけられ、C大阪の練習に参加した。練習試合でゴールも決めたが、シーズン終盤で数日間しか練習に参加出来ず、ここでも契約は勝ち取れなかった。

セレッソでの練習参加後、ペルーシエンシアーノの元選手から誘いを受け、ペルーに行くことを決める。2009年、ウニベルシダ・セサル・バジェホに練習生として参加。その後も複数のクラブで練習生として参加し、活躍を見せるがいずれも契約は出来なかった。帰国するか悩んでいたところ、代理人からイスラエルアルバニアのクラブのテストの誘いを受け、アルバニアに渡った。

アルバニアではKSディナモの練習に参加した後、2部のFKトモリ・ベラトの練習に参加。結果を残してトモリと契約することを決めるが、移籍会見前日に監督が解任されるという憂き目に会う。会長の誘いもあり、2011年1月30日、人生初のプロ契約を結び、同時にビリシュティ・スポルチ英語版へのレンタルが決まった。ビリシュティではマケドニア人選手とのルームシェアで生活した。デビュー戦となったアウェイの試合では激しいマークやラフプレーの洗礼を受け、後半20分に交代させられた。次のホーム戦では同点ゴールを決め2-1で勝利し、翌日の新聞では「アルバニアで初めてゴールを上げた日本人」として大きく取り上げられ、次節も一点一アシストを記録し注目を浴びた。しかし、4月23日のKFテルブニ戦後会長が選手の殆どをユースの選手に切り替えた為外国人選手が全員解雇され、中村も解雇された。トモリでは中村を気に入っていた会長が辞任したため、残り半年の契約を解消した。

2012年、インドモハメダンSC英語版と契約。

2016年2月、単身でアフリカに渡り、マラウイ・プレミアディビジョン(TNMスーパーリーグ)1部のビィ・フォアード ワンダラーズFCと契約[1]し、マラウイ初の日本人プロサッカー選手となる。

マラウイでの契約後は、ビザ発給の遅れから公式戦での出場機会を得られなかったが、2016年7月17日のマラウイスーパーリーグ第13節ウィザースFC戦で、後半20分過ぎにフランシス・ムリンビカに代わってトップ下に入り同国の公式戦初出場を果たし、4-0の勝利に貢献する。[2]

2017年に世界全大陸(全連盟)でのプレーをするのを目標にし、まだプレーしていなかったオセアニアに赴きニュージーランドのBay Olympic と契約。

2018年、目標を叶え現役を引退。指導者としてサッカースクール「Global Football Academy」を開設している[3]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アルバニア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2010-11 ビリシュティ 2部 9 2
インド リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2011-12 モハメダン Iリーグ2部
フィリピン リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2013-14 Manila All-Japan F.C. 2部 14 12
ラオス リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2014-15 ランサンイントラ 2部 3 3
マラウイ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2015-16 ワンダラーズ 15 1部 2 0 5 0 10 0 17 0
通算 アルバニア 2部 9 2
インド Iリーグ2部
フィリピン 2部 14 12
ラオス 2部 3 3
マラウイ 1部 2 0 5 0 10 0 17 0
総通算


メディア出演

参考文献

出典

関連項目

外部リンク


中村 元樹

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サヨナラダンス」の記事における「中村 元樹」の解説

なかむら もとき ボケ担当1980年4月3日生まれ京都府宇治市出身O型同期中村英将ゆったり感)と区別するため、同期からは「もとき」と呼ばれている。普段コンタクト付けている。弟がいる。また、祖父が元探偵趣味読書好きな作家村上春樹町田康筒井康隆カート・ヴォネガットなど。また、密かな趣味として4コマ漫画を描くこと」を挙げている。 好きな食べ物ガムラスク好きな歌手宇多田ヒカル椎名林檎、くるりなど。 好きな球団中日英検2級取得している。 松ぼっ栗、ファイティングトーマス、赤尾勇(元・風来ボーイズ)、太田拓郎からくりタンバリン)と「元樹会」を結成している。主な活動は、「人見知りで平和を愛す芸人が、お笑いの話をしたりスイーツの話をしたり恋の話をする」こと(太田ブログより)。 ハムスター飼っており、名前は「むむぷぅ」。 ライブ等にて痔持ちであることを公表している。 活動休止後構成作家転身。しずる、ライスサルゴリラとともにコントユニット「メトロンズ」に作家として参加又吉直樹実験の夜」やEXIT作家担当する

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「中村 元樹」を含む「サヨナラダンス」の記事については、「サヨナラダンス」の概要を参照ください。

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