中央水力の設立
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「中央電力 (1938-1942)」の記事における「中央水力の設立」の解説
中央電力参加3社の中で最も設立が遅いのは中央水力株式会社であり、その設立は1935年(昭和10年)12月23日であった。東邦電力・中部電力(岡崎)・三河水力電気・伊那電気鉄道の4社共同出資による発電専業の会社で、伊那電気鉄道が水利権を持つ天竜川水系阿知川の1地点と小渋川の2地点の開発を行う目的で設立された。資本金は500万円(設立時125万円払込)。出資者のうち三河水力電気は開発を担当。そして開発後は中央水力より中部電力へと売電する予定であった。本社は伊那電気鉄道が入る東京の丸ノ内ビル(麹町区丸ノ内1丁目6番地1)に設置。代表取締役は高石弁治(1937年1月就任)と松本庸之助(設立時に就任)の2名で、高石が社長、松本が専務を務める。高石は前中部電力社長(1936年12月まで在任)、松本は元東邦電力岐阜支店長・福島電灯常務であった。 1937年(昭和12年)10月28日、伊那電気鉄道が南信電気阿知川発電所の上流側にて建設していた阿知川第二発電所(後の駒場発電所)が運転を開始した。中央水力はこれを翌1938年(昭和13年)4月1日付で譲り受け、発電専業の電気事業者として開業した。同発電所は長野県下伊那郡会地村(現・阿智村)に位置し、阿知川(黒川)と本谷川の合流点下流より取水、約2.75キロメートルの導水路により落差を得て発電する水路式発電所である。発電所出力は5,320キロワットで、その発生電力は東邦電力(同年8月中部電力を合併)および伊那電気鉄道へと送電された。うち東邦電力に対する送電は最大4,000キロワットで、天竜川下流側にある豊根発電所とを繋ぐ同社の77キロボルト送電線(阿知川豊根線・亘長41.8キロメートル)が接続した。
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