中央水力の設立とは? わかりやすく解説

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中央水力の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 15:57 UTC 版)

中央電力 (1938-1942)」の記事における「中央水力の設立」の解説

中央電力参加3社の中で最も設立が遅いのは中央水力株式会社であり、その設立1935年昭和10年12月23日であった東邦電力中部電力岡崎)・三河水力電気伊那電気鉄道の4社共同出資による発電専業会社で、伊那電気鉄道水利権を持つ天竜川水系阿知川の1地点小渋川の2地点開発を行う目的設立された。資本金500万円設立時125万円払込)。出資者のうち三河水力電気開発担当。そして開発後は中央水力より中部電力へと売電する予定であった本社伊那電気鉄道が入る東京丸ノ内ビル麹町区丸ノ内1丁目6番地1)に設置代表取締役高石弁治1937年1月就任)と松本庸之助設立時就任)の2名で、高石社長松本専務務める。高石は前中部電力社長1936年12月まで在任)、松本は元東邦電力岐阜支店長福島電灯常務であった1937年昭和12年10月28日伊那電気鉄道南信電気阿知川発電所の上流側にて建設していた阿知川第二発電所(後の駒場発電所)が運転を開始した中央水力はこれを翌1938年昭和13年4月1日付で譲り受け発電専業電気事業者として開業した。同発電所長野県下伊那郡会地村(現・阿智村)に位置し阿知川黒川)と本谷川合流点下流より取水、約2.75キロメートル導水路により落差得て発電する水路式発電所である。発電所出力は5,320キロワットで、その発生電力東邦電力同年8月中部電力合併)および伊那電気鉄道へと送電された。うち東邦電力対す送電最大4,000キロワットで、天竜川下流側にある豊根発電所とを繋ぐ同社77キロボルト送電線阿知川豊根線・亘長41.8キロメートル)が接続した

※この「中央水力の設立」の解説は、「中央電力 (1938-1942)」の解説の一部です。
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