中央アジア草原地帯、西トルキスタンのテュルク化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 20:39 UTC 版)
「チュルク系民族」の記事における「中央アジア草原地帯、西トルキスタンのテュルク化」の解説
中央アジアの草原地帯にはカルルク、テュルギシュ、キメク、オグズといった西突厥系の諸族が割拠しており、オアシス地帯ではイラン系の定住民がすでにイスラーム教を信仰していた。草原地域では、イラン系遊牧民が急速にテュルク語化した。 一方のオアシス地帯では、口語は12世紀頃までに概ねテュルク語化したものの、行政文書や司法文書などには専らアラビア文字による文書(ペルシャ語など)が用いられ、継続性が必要とされる特性上テュルク語への置換はゆっくりとしたものであった。 他言語話者がテュルク語に変更するにはテュルク語でイスラーム教を布教するのが最も効果的なのであるが、西トルキスタンでは定住民がすでにムスリム(イスラーム教徒)であったため、あるいは遊牧民と定住民の住み分けが明確になされていたため、人口が多かったために東トルキスタンほど急速にテュルク化が起きなかった。 西トルキスタンに於ける最終的なテュルク語化は、ホラズム・シャー朝、カラキタイ、ティムール朝、シャイバーニー朝といった王朝の下でゆっくりと進行した。
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