中国における誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 13:51 UTC 版)
起源には諸説がある。紀元前6世紀頃、孔子が発明したという説もあるが有力ではない。 最も有力な説は中国・清の同治年間(1862 - 1874年)に寧波の陳魚門が、12世紀以前に存在した「葉子(馬弔・マーディアオ)」というカードゲームと明代(1368 - 1644年)以前から存在した「骨牌」というドミノのような遊戯を合体させて「麻雀(マージャン)」を完成させたとするものである。 なお、葉子は欧州に伝わり、トランプとなったともいわれる。 詳細は「トランプの歴史」を参照 明の成化年間の陸容 (1466-1494)『菽園雑記』の記すところによると、当時の昆山で一種のカードゲームが流行しており、カードの総数は38枚であって、一銭から九銭・一百から九百・一万貫から九万貫・二十万貫から九十万貫・百万貫・千万貫・万万貫からなっていた。「糸巻き」の様に見える図柄は、「銭の穴に糸を通した束」で、「サイコロの目」の様に見える図は「銭を正面から見た図」である。一万貫以上のカードには『水滸伝』中の二十人の絵が描かれており万万貫は宋江・千万貫は武松等となっていた(ただし「混江竜李進」と「混江竜李海」が別人として存在するなど、現行の水滸伝とは名前が多少異なっている)。当時の人はこの種のカードを「葉子」と呼び、葉子を使ったカードゲーム自身のことは「葉子戯」と呼んでいた。今では水滸牌と呼ぶことが多い。 語源については、上記の「馬弔(マーディアオ)」が日本で転訛して「麻雀(マージャン)」となったとされる。 1949年に中華人民共和国政府によって一旦、全てのギャンブルと共に禁止された。しかし、文化大革命終結後の改革開放に伴ってギャンブルでない麻雀は許されるようになり、1985年には禁止令が解除された。
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