世界初のインド人演歌歌手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:24 UTC 版)
ミカンの栽培技術を学ぶため兄弟等とともに16歳で訪日する。福岡県でミカン栽培の研修中、テレビで見た北島三郎の演歌に惚れ込み、九州の放送局が開催したのど自慢大会で優勝。歌手を志すも就労ビザの関係で一度帰国。帰国後は翻訳家をしながら再訪日を模索。たまたま出会った日本人の紹介でへび使い、女性の踊り子2人を連れて再訪日し福井の東尋坊でショーとして出演。そこも辞め再度帰国し翻訳家を再開。その後違う日本の芸界の紹介で再々訪日、音楽の道を志すようになる。日本テレビのバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』への出演で人気を博し、1975年8月に「世界初のインド人演歌歌手」としてデビューした。 シーク教徒らしいターバン姿と、北島三郎直伝のその完璧な日本語による歌唱のギャップで、デビュー曲「面影の女」は18万枚を売り上げるヒットとなり、様々な音楽賞の新人賞を受賞した。当時は大橋巨泉事務所(現「オーケープロダクション」)に所属していた。
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