世界チェス選手権での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:08 UTC 版)
「マイケル・アダムス (チェス)」の記事における「世界チェス選手権での活躍」の解説
アダムスは世界チェス選手権に数多く参戦し、その実力を世に知らしめてきた。 1993年にはフローニンゲンでのインターゾーナルチェストーナメントにてヴィスワナータン・アーナンドと同率首位となり、PCA世界チェス選手権1995への挑戦権を手にした。この大会において、アダムスは準々決勝でセルゲイ・ティヴィアコフを下すものの、準決勝でアーナンドに敗れた。 その後、アダムスはFIDE世界チェス選手権1996に参戦するが、一回戦にてボリス・ゲルファントを相手に敗退している。 1997年、アダムスは再びFIDE世界チェス選手権1997-1998に出場。この大会は史上初の勝ち抜き戦で行われ、最後まで勝ち進んだ者には、当時の世界チャンピオンであったアナトリー・カルポフへの挑戦権が与えられるというものであった。この大会には、著名なチェスプレイヤーではガルリ・カスパロフ、ウラジミール・クラムニク、ガタ・カムスキーのみを除く、ほぼ全ての世界トップレベルのチェスプレイヤーが名を連ねていたが、アダムスはショートマッチで順にタマス・ジオールガッツェ、セルゲイ・ティヴィアコフ、ピーター・スヴィルダー、ローク・ヴァン・ウェリー、ナイジェル・ショートを下し、アーナンドとの決勝まで駒を進める。決勝では、ノーマルタイムの4試合は全てドローであり、早指し4試合でも決着がつかなかったが、アーナンドがサドンデスゲームに勝ち、アダムスの敗退が決定した。 その次のFIDE世界チェス選手権1999においても、アダムスはウラジミール・アコピアンに準決勝で敗れる。そして、続くFIDE世界チェス選手権2000において、またもアーナンド相手に準決勝敗退。FIDE世界チェス選手権2002では3連勝した後に、ピーター・スヴィルダーにベスト16で敗れている。 アダムスが最も世界チャンピオンの王座に近づいたのは、FIDE世界チェス選手権2004にて、フセイン・アサブリ、カレン・アスリアン、ハイケム・ハンドウチ、ヒカル・ナカムラ、ウラジミール・アコピアン、テイモール・ラジャボフを破り、決勝進出を果たしたときとされる。しかしながら、またしても決勝でルスタム・カシムジャノフ相手に、ノーマルタイムの6試合を3–3、その後のタイブレークの早指しで3½–4½という僅差で敗北。王座を獲得することは出来なかった。 この結果を受け、FIDE世界チェス選手権2005の8人の参加枠のうちの1人として招待されるが、14試合中5½という結果で同率6位に終わっている。 2007年の5月から6月にかけて行われたFIDE世界チェス選手権2007の予選第1ラウンドでは、アレクシー・シャイロフに3-3で引き分けた後、プレーオフの早指しで2½–½で敗れた。
※この「世界チェス選手権での活躍」の解説は、「マイケル・アダムス (チェス)」の解説の一部です。
「世界チェス選手権での活躍」を含む「マイケル・アダムス (チェス)」の記事については、「マイケル・アダムス (チェス)」の概要を参照ください。
- 世界チェス選手権での活躍のページへのリンク