世界チャンピオン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:38 UTC 版)
「ボビー・フィッシャー」の記事における「世界チャンピオン時代」の解説
1970年のソ連対世界戦で再びチェス界に復帰した。1971年の挑戦者決定戦ではソ連のマルク・タイマノフに6対0で完勝し、さらにデンマークのベント・ラーセンにも6対0で完勝した。前世界チャンピオンのチグラン・ペトロシアンに5勝1敗3引き分けで勝ち、当時の世界チャンピオンボリス・スパスキーへの挑戦者となった。また、同年7月に初めて公開された国際チェス連盟(FIDE)のレーティングリストで世界1位となった。 1972年、アイスランドのレイキャヴィークで行なわれた世界選手権で、スパスキーを破り世界チャンピオンとなった。当時、世界は冷戦のさなかであり、ソ連は第二次世界大戦以降、チェスのチャンピオンのタイトルを独占しつづけていたので、欧米側から見てこれは歴史的な勝利となり、「アメリカの英雄」として扱われた。 その後、反ユダヤ的な発言が目立つようになった。ただし、フィッシャーの両親はユダヤ系なので、自身もユダヤ系である。 1975年、防衛戦の運営をめぐりFIDEに多数の条件を提示、そのうちのひとつが否決されたため挑戦者アナトリー・カルポフとのマッチを戦わず王座を返上した。
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