世徳堂本の成立とは? わかりやすく解説

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世徳堂本の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)

西遊記の成立史」の記事における「世徳堂本の成立」の解説

完成され小説『西遊記』として、現在発見されている最古テキストは、金陵(現:南京市)の書肆世徳堂が刊行した新刻出像官板大字西遊記』という挿絵つきの文繁本である(世徳堂本、あるいは略して世本と呼ぶ)。現在以下の4本が伝存しており、すべて日本保管されてきたものである。ただし、これらは世徳堂が南京印刷した初印本ではなく福建省建陽の熊雲浜による補修本であると見られる(熊雲浜書林宏遠堂を営んだ人物で名は熊体忠、号が雲浜)。 台湾国故宮博物院図書文献蔵本高崎藩大河内旧蔵故宮世徳堂本広島市立中央図書館浅野文庫蔵本(広島藩浅野旧蔵浅野世徳堂本)巻11から巻20までのみ現存 日光山輪王寺慈眼堂天海蔵本天海僧正旧蔵日光世徳堂本天理大学附属天理図書館蔵本京都槙尾山西明寺旧蔵天理世徳堂本) 世徳堂本には、秣陵陳元之という人物序文載せており、「時壬辰夏端四日也」と結ばれていることから、初版万暦20年1592年)に刊行されたと考えられる序文では世徳堂本作者について明朝のとある皇族もしくはその屋敷仕え物書きあるらしい原文は「出今天潢何侯王之国」)、としている。それを出版業を営む唐光禄という人物買い取って、少し加筆をして出版したという。一方、周弘祖の『古今書刻』には山東魯王府が『西遊記』刊行したことが書かれている当時魯王は第6代頤坦(? - 1594年)で、魯王府本隆慶年間刊行推測され江流和尚物語を欠く百回本であった推測される上述陳元序文「とある皇族」との関連性におわせる世本大きな特徴は、三蔵出生の話である「陳光江流和尚」を削除したことと、章回分け(全100回)を行ったことである。その後テキスト同様の形式採用されていく。

※この「世徳堂本の成立」の解説は、「西遊記の成立史」の解説の一部です。
「世徳堂本の成立」を含む「西遊記の成立史」の記事については、「西遊記の成立史」の概要を参照ください。

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