不良債権の急増
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:48 UTC 版)
1990年代に入り、バブル崩壊が起き、拓銀の不良債権も急増する。 カブトとソフィアへの融資で建てられたホテルは採算性が皆無で、加えてホテルマンとしては素人である拓銀行員が従業員に加わっていたため、営業するだけ赤字は拡大していった。目立った客は「拓銀○○支店ご家族一行様」といった関係者ばかりであり、1994年(平成6年)の宿泊者数は、目標の半分に過ぎない5万7,000人であった。拓銀はすぐに潰して償却するという選択をせず、延命資金を追加注入し、不良債権はさらに増加していった。 拓銀からカブトへの直接の融資は500億円程度とされていたが、傘下企業同士を含める総体は数千億円規模に膨らんでいた。1992年(平成4年)3月末には、500億円の追加融資枠が設定され、第三者割当増資の引受もあり、最終的にカブトへの融資は2,803億円、カブトによる関連会社への債務保証も1,000億円を超えていた。拓銀側も「実質的にカブトは債務超過」と認めたが、融資の中にはペーパーカンパニーを通したものもあり、すぐにカブトに倒産されては不正の実態が明るみに出てしまう。この責任問題を恐れた拓銀は、表面上は再建支援を装いつつ、自らへの悪影響を減らしながらカブトを数か月かけて倒産に導く方向で動き出す。 1992年(平成4年)には、拡大路線を進めてきた「SSKトリオ」の最も下であった海道常務が乱脈融資の責任をとらされる形で退任し、関連会社タクトの社長に就任した。同年に、頭取時代に拡大路線を採用し、SSKトリオの長として長らく人事権を掌握していた鈴木会長も取締役相談役に退いた。SSKトリオは崩壊し、行内での影響力を失った。1994年(平成6年)には、インキュベーター路線を推し進めていた総合開発部が廃止され、同路線の破綻が確実になった。
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