不二映画社設立とは? わかりやすく解説

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不二映画社設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 10:13 UTC 版)

鈴木傳明」の記事における「不二映画社設立」の解説

1931年昭和6年9月1日、かねて計画していた独立プロ設立動き城戸四郎撮影所長に察知され辞職勧告受けて退社鈴木同調した岡田時彦高田稔らと窪井義道出資得て9月4日不二映画社設立する蒲田からは彼らに加え70数人同行し蒲田男優陣は一時総崩れとなった同社第1回作品栄冠涙あり』に主演し続いて『熊の出る開墾地』『金色夜叉』に出演するが、興行力に乏しい上に大スター抱えていたため、資金難解散その後一座組織して各地巡演する。 1933年昭和8年4月、牛原のすすめで日活太秦撮影所入社し、『戯れに恋はすまじ』に夏川静江相手役主演続いて原監督の『大学の歌』や山田五十鈴共演の『金色夜叉』などに主演するが、かつての人気はとっくに消え失せていた。このあと現代劇部が多摩川撮影所に移ると鈴木移籍し、『潮』『若夫婦試験別居』に主演するが、溝口監督の『愛憎峠』では助演に回る。1935年昭和10年)、新興キネマ入り入江ぷろだくしょんとの提携作『貞操問答』に入江たか子共演1939年昭和14年)、かつて来日して親交持ったダグラス・フェアバンクス招き渡米しハリウッド映画出演する予定だったが、同年12月12日ダグラス心臓麻痺急死したため頓挫そのまま滞米して映画研究社会事情学んだのち1941年昭和16年)に帰国する同年日活作品の『姿なき復讐』に主演して映画界復帰し1943年昭和18年)には東宝映画の『阿片戦争』に助演する

※この「不二映画社設立」の解説は、「鈴木傳明」の解説の一部です。
「不二映画社設立」を含む「鈴木傳明」の記事については、「鈴木傳明」の概要を参照ください。

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