上杉家の停兵・津軽家の救援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)
「赤穂事件」の記事における「上杉家の停兵・津軽家の救援」の解説
事件は本所に住む町人の注進(複数あったとされるが豆腐屋が藩の記録に記されている)により上杉家に伝達された。上杉綱憲は父のために援軍を送ろうとするが、老中からの出兵差止め命令が、遠縁筋の高家・畠山義寧により齎され派兵を止めた。一方、津軽家は幕府からの特に差し止めが無いため、津軽政兕が真っ先に山鹿政実らと吉良邸に駆けつけ、義央の遺体を発見し負傷者の救助に協力した。 赤穂義士に斬殺された吉良以外の死者は次の14人。史料によってはのちに死亡した重傷者を加え人数が異なる場合あり。また「鳥井」「鱸」など姓に差異もある。 小林平八郎央通 家老 南書院前 清水一学義久 近習 台所口 新貝弥七郎 近習 玄関 笠原長右衛門 祐筆 書院次 大須賀治部右衛門 用人 台所口 榊原平右衛門 文官 同 大石半右衛門 門番 馬屋前 鈴木正竹 僧侶 小玄関前 杉松三左衛門 祐筆 小屋出口 牧野春斎 僧侶 同 須藤与一右衛門 取次 南書院次 榊原平右衛門 文官 台所口 鳥居利右衛門正次 用人 座敷庭 斎藤清左衛門 小姓 同
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