三冠目の敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 00:53 UTC 版)
「マジェスティックプリンス」の記事における「三冠目の敗北」の解説
しかしプリークネスステークス勝ちの翌朝、ロングデンは記者会見を開いてマジェスティックプリンスの右前脚の腱に異常があること、このままではベルモントステークスにベストの状態で望めないためカリフォルニアで休養を取ることを発表した。記者の質問に対して、同席したマクマホンも調教師に同意する旨を述べたが、その上で「We want a Triple Crown, not a Crippled Crown.(我々は三冠が欲しい、欠けた冠は要らない。)」と付け加えた。 アメリカ三冠馬は21年前のサイテーション以来久しく出ておらず、前年もフォワードパスがベルモントステークス2着で三冠を逃したばかりであった。人気の沸騰したマジェスティックプリンスには「無敗の三冠」という史上に残る大記録の達成の期待が多大に寄せられており、ロングデンの「故障によりベストではないが、出走は可能」という弱気めいた発言は、さらにそれを煽り立てた。 当初ロングデンは回避を勧め、マクマホンも長い相談の上でこれに同意していたが、結局ベルモントステークスへの出走を決めてしまった。マクマホンが決定を覆した理由は今日まで多くの推測を生んでいるが、ホイットニー・タワーがスポーツ・イラストレイテッド誌で発表した「The Prince Ducks the Big One(ザ・プリンスは大競走を回避する)」という記事に代表されるような、メディアによる煽り立てのプレッシャーが大きな要因になったという説がよく聞かれる。 「無敗の三冠馬」となるべくして、マジェスティックプリンスはベルモントステークスに出走した。しかし、競走を制したのは2度破ったはずのアーツアンドレターズで、マジェスティックプリンスは5馬身半も離された2着に敗れてしまった。競走後、騎乗したビル・ハータックは「馬は傷ついていた。我々はこのベルモントに出るべきでなかった。」と語り、ロングデンもまた「プリークネスの時点で、馬が右前脚を気にしていたが、それは警告だったのだ。やはり我々は出るべきでなかった。」と語っている。 ロングデンはマジェスティックプリンスをカリフォルニアで休養させ、シーズン後半に復帰させることを目していた。しかし、マジェスティックプリンスには既に180万ドルもの巨額シンジケートが組まれており、その圧力から引退せざるを得なくなった。 マジェスティックプリンスの抜けた3歳馬路線では、新たな主役となったアーツアンドレターズが大活躍を繰り広げ、同年の年度代表馬・最優秀3歳牡馬に輝いている。このため、マジェスティックプリンスはシーズン前半に多大な人気を誇ったにもかかわらず、年度代表馬表彰はひとつも得ることが出来なかった。
※この「三冠目の敗北」の解説は、「マジェスティックプリンス」の解説の一部です。
「三冠目の敗北」を含む「マジェスティックプリンス」の記事については、「マジェスティックプリンス」の概要を参照ください。
- 三冠目の敗北のページへのリンク