三冠馬オーモンドと最後のシーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/02 06:57 UTC 版)
「フレッド・アーチャー」の記事における「三冠馬オーモンドと最後のシーズン」の解説
身長178cmと大柄であったアーチャーは、オフシーズンには体重が11ストーン(約69.9kg)前後まで増加するようになり、減量に苦しみ始めた。アーチャーは減量するためにダイナマイトの粉末を服用した。1886年は騎乗数を減らしたが、それでも170勝を挙げてリーディングの首位を占めていた。 この年のクラシックシーズンの初めに人気になったのはオーモンドとサラバンド(Saraband)で、2000ギニーではこの2頭が僅差の1番人気、2番人気だった。アーチャーはオーモンドが2歳の頃から騎乗して大レースに勝っていたが、2000ギニーではサラバンドに騎乗した。結果はオーモンドの楽勝で、サラバンドは大きく離された4着に終わった。ダービーではアーチャーはオーモンドに乗り、ザバード(The Bard)を半馬身抑えて優勝した。3着にはセントミリン(St.Mirin)という馬が入ったが、このセントミリンが後にアーチャーの死のきっかけとなった。 9月に行なわれた三冠目のセントレジャーでは、アーチャー騎乗のオーモンドが楽勝して三冠を達成し、2着にセントミリンが入った。セントミリンはこの後、10月のケンブリッジシャーハンデに出ることにした。このハンデ戦はイギリスを代表する大レースの一つで、アーチャーはまだこの大レースにだけは勝ったことがなかった。セントミリンの馬主のモントローズ公爵夫人は、かねてから何度もアーチャーに騎乗を打診していたが、いつもアーチャーはこれを断っていた。しかし、まだ勝っていないケンブリッジシャーハンデに出るために、アーチャーはセントミリンの騎乗依頼を受けることにした。
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