三冠馬ニジンスキーの敗戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
「凱旋門賞」の記事における「三冠馬ニジンスキーの敗戦」の解説
1970年の凱旋門賞の出走馬はわずか15頭だった。出走馬がこれほど少なかったのはイギリスの三冠馬ニジンスキー(Nijinsky)が登場したからで、多くの一流馬はニジンスキーを破る余地はないと考えて、早々に出走を取りやめた。 ニジンスキーはイギリスの2000ギニーとダービーを完勝し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを古馬相手に楽勝した。次の目標は凱旋門賞とアメリカのマンノウォーステークスだったが、その前に一度試走をする必要があった。どのレースに出ても重いハンデを負わなければならなかったため、ニジンスキー陣営は定量戦のセントレジャーに出ることにした。ニジンスキーは難なくこれを勝ったが、その結果として35年ぶりにイギリス三冠を達成した。 ニジンスキーは凱旋門賞で本命となった。ニジンスキーに6回騎乗したリーアム・ウォード騎手は、「もしニジンスキーが負けたら裸でアイルランドまで歩いてやるよ」と豪語した。しかし、ニジンスキーは残り100メートルの地点で先頭に立ったものの、苦しがって外へよれ、残り20メートルの地点でササフラ(Sassafras)が頭一つ分だけ巻き返し、そのままゴールした。 ニジンスキーにとっては初めての敗戦で、騎手を非難する者や、ニジンスキーのスタミナを疑問視する者、直前にセントレジャーを使ったことを原因とみなす者や、それ以前の苛酷なローテーションを敗戦の理由とする者もあった。陣営は体調が万全でなかったと弁明した。
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