ローダーとスコットの書簡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/15 04:17 UTC 版)
「スコットランドの衣類」の記事における「ローダーとスコットの書簡」の解説
トーマス卿はこの本を見てすぐに、ウォルター・スコットにこの本について手紙を書いた(手紙の日付は1829年6月1日)。この手紙において、トーマス・ローダー卿はこの本を高く評価しており、クリュニー・マクファーソンやマクロードなどの氏族長がそこから「まさしく本物の」タータンがわかると言っている、と書いている。ローダーは詳細にこの写本について記述しており、その本に掲載されているタータン全て(約66柄)の図柄と色が分かるとし、そのうちのいくつかをウォルター・スコットに送っている。タータンの生地に加えて、この本は女性用の格子柄(arisaids)およびタイツとトルーズ(ズボン)に関する別表がついていた。最後に、ローダーは兄弟にこの本の出版を急がせ、費用と手段について尋ねている。出版の計画が決められ、タータンの色とパターンの生地見本が載せられることになった。 1829年6月5日の返信で、スコットはソビエスキ兄弟と写本についての疑念を述べており、同時に古物の鑑定人に調査してもらうため、写本の写しを送るように求めている。特に、低地の人びとがタータンや格子柄を身につけていたという主張に異論を唱えており、レスリー司教がその写本の原本を一時所有していたといわれているものの、どのレスリー司教の文書の中にも書かれていないことなど、裏付ける証拠がないことに疑問を呈している。また、兄弟の出自の信ぴょう性についても疑問視している。また、その題「Vestiarium Scotia」が「間違ったラテン語」であるともしている。 1829年7月20日、トーマス卿は、ウォルター卿に返信を書いた。この返信の中で、トーマス卿は、かつて兄弟の父親がロンドンで所有しており自身が見せられた1721年の写本のもととなった1571年の(と伝えられる)原本について述べている。トーマス卿は兄弟の性格、信ぴょう性、および社会的評価についても述べており、「兄弟の過剰な理想主義(Quixotism)は、世の中の古物研究に関する事柄を語るには非常に不幸な個性である…」と認めている。それでもなお、トーマス卿はこの写本の信ぴょう性について信じていることを再び主張しており、「間違ったラテン語」についての議論やおよび低地地方におけるタータンの使用についての推測も述べている。 1829年11月19日のスコット卿からローダー卿への最後の書簡において、スコット卿は再びこの本の信ぴょう性について否定しており、低地地方の人びとがクラン・タータンを着用していたという見解も否定している。スコット卿はクラン・タータンに関する見解について完全に否定しており、「タータンによって氏族を区別するというのは現代の流行でしかない…」としている。
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