ロン・アシュトンの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:19 UTC 版)
「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ロン・アシュトンの死」の解説
ザ・ストゥージズはイギー、ロンとスコットのアシュトン兄弟、スティーヴ・マッケイといった旧メンバーに新メンバーとしてベーシストのマイク・ワット(英語版)を加えて、2003年4月27日のコーチェラ・フェスティバルから再始動していた。その頃のウィリアムソンは、イギーとは楽曲の版権関係で連絡を受けるという程度の関係となっていて、再結成には全く関与しなかった。 ところが2009年1月にロン・アシュトンが急逝してしまい、ザ・ストゥージズは新たなリードギタリストを探す必要に迫られた。イギーは直近5回のライブは臨時でレディオ・バードマン(英語版)のデニス・テック(英語版)を呼んで対処するつもりだったが、永続的なメンバーとしてはウィリアムソンが理想と考えて復帰を打診した。 ウィリアムソンはイギーからの連絡を受ける前にロンの死を知っていて、イギーとは葬儀への出席などについて話し合ったがバンドへの復帰については断った。 「バンドに加入するにしろ、他の形であるにしろ、関わり合う気はなかったよ。最初は単に私が葬式に出席するかどうかを(イギーと)話していただけだった。その時、まあ当然だが、イギーは私がギターを演奏することに興味があるかを聞いてきた。私は仕事があるから無理、ロックの殿堂で顕彰されるなら、その時は一緒に行ってもいいと応えたよ。」 しかし、その頃のソニーはリーマン・ショックの影響などもあって業績悪化が確実視された時期で、実際に50代以上の社員に対する希望退職の公募を開始していた。その希望退職条件が退職者にとってかなり有利なものであったことから、当時59歳だったウィリアムソンは考え直し、希望退職に応募してザ・ストゥージズに復帰することに決めた。 電子工学技術者からロックバンドのギタリストに戻るウィリアムソンに対して、IEEEはジョークを絡めて惜別の辞を贈った。 「我々の何名かが、理知的で温厚という評価に疑いを抱かずに会議で机を挟んで言葉を交わしていた人物が、史上最も暴力的で騒々しい事で知られるパンクロックバンドでギターを弾く事になりました。(中略)当会の会員にコンサートチケットの割引が適用されるかはまだ判明していません。」
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