ロゼッタストーンの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 01:40 UTC 版)
「ヨハン・ダヴィド・オケルブラッド」の記事における「ロゼッタストーンの研究」の解説
詳細は「古代エジプト文字の解読」を参照 パリにいる間、アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシの学生であった。サシがロゼッタストーンを調査した結果、「アレクサンドロス」などの5つの名前を読むことができた。これは1802年に彼により報告された。オケルブラッドはこの研究を引き継ぎ、この分野での彼の主要な研究は同年にパリで発表された。 オケルブラッドは何とかしてわずか2か月でデモティックのテクストの全ての固有名詞を特定することができた。また、「ギリシア」、「寺院」、「エジプト人」などの単語を読み、29の符号のうち14の正しい音価を見出したが、デモティックのヒエログリフが完全にアルファベットであると誤解していた。デモティックとコプト語を比較する彼の戦略の1つは、後にシャンポリオンがヒエログリフと古代エジプト語を最終的に解読する際の鍵となった。 1810年、オケルブラッドはサシにMÉMOIRE: Sur les noms coptes de quelques villes et villages d'Égypte.(論文:エジプトのいくつかの町や村のコプト語の名称について)と題した研究を発表するために送った。しかし、残念ながら発表は延期され、1834年まで発表されなかった。一部の学者は、その延期を政治的または個人的な考慮により動機づけられたように考えた。 晩年はローマで過ごし、デヴォンシャー公爵夫人のエリザベス・キャヴェンディッシュなど彼の才能を賞賛する人々に支えられた。
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