ロイヤルアスコット開催の創始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:31 UTC 版)
「ジョージ4世と競馬」の記事における「ロイヤルアスコット開催の創始」の解説
ロイヤルアスコット開催名物の王室パレードはジョージが創始したもの。 ジョージはアスコット競馬場の整備に力を尽くし、新走路の造営、650人収容の大観客席の建設、王室用の観覧席、貴賓席などの造営を行った。ジョージはアスコット競馬場の競馬開催でもたくさんの浪費をした。なかでも、アスコット開催の前日に開いたパーティーで大盤振る舞いをして、バリモア伯爵のためにわずか一度の食事で1700ギニー(1785ポンド)を使った、と広く噂された。 それまでアスコット競馬場の目玉レースだったオートランズステークスに加えて、1807年にアスコット金杯が始まった。金杯レースと言うのはその頃各地の競馬場で行われていたものだが、アスコット競馬場でもゴールドカップを開催しようというアイデアは、ジョージの母、シャーロット王妃の発案だったと伝えられている。1807年の時点では、アスコット競馬場の走路では本格的なカップ競走に相応しい距離をとることができず、競馬場を2周して2マイルの距離を確保した。そのあとジョージの命で走路の拡張が行われ、1808年からは2マイル半で開催できるようになった。最初の頃、ジョージは母や姉妹を最終コーナー付近に座らせ、自分はゴール前の審判席で観戦したという。 やがて、王立競馬場であるアスコット競馬場の金杯レース(アスコット金杯)はイギリスを代表する大レースとなっていった。アスコット金杯を中心とする6月のアスコット競馬は、王室の外交の場にもなっていった。 1825年6月、ジョージ4世はアスコット競馬の開幕日にパレードを挙行した。これ以来、王家のパレードはロイヤルアスコット開催の伝統行事となった。王室一家、王族、侍従(Lord-in-Waiting)からなる一行は、4頭立ての無蓋馬車に分乗し、ウィンザーパーク門から入場、1マイルある直線の本馬場を進み、貴賓席(ロイヤルエンクロージャー)へむかう習わしである。アスコット競馬場には無数の貴族や貴婦人たちが馬車で駆けつけ、彼らはみな精一杯におしゃれをして臨んだという。これが今のロイヤルアスコット開催の起源となった。
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