レスリング復帰とは? わかりやすく解説

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レスリング復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:31 UTC 版)

山本徳郁」の記事における「レスリング復帰」の解説

2006年7月23日レスリング復帰し2008年北京オリンピック出場目指すことを宣言プロ格闘家活動一時休止する2006年12月スポーツ用品ブランドリーボック」とのパートナー契約締結2006年12月31日K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!総合格闘技リング一時復帰。アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストイストバン・マヨロシュ対戦し首相撲からの膝蹴りKO勝ち。 2007年1月28日天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦アテネオリンピック銅メダル井上謙二自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼試合開始16秒でフォール負け喫した。なお、大会前に同階級有力選手からは「(山本に)1ポイント与えるつもりはない」「7年ブランクあっては通用しない」など、長期プロ活動から復帰した山本に対して発言があった。 2007年6月北京オリンピック出場望みをかけレスリング明治乳業全日本選抜選手権出場予定していたが、肘の脱臼完治せず、練習も満足に出来ていないため出場取りやめた。 2007年9月17日総合格闘技復帰となったHERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦ビビアーノ・フェルナンデスと63kg契約対戦腕ひしぎ十字固めかけられ回転して逃げるなど危なシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージ与え判定勝ち。試合1週間前に左手首の豆状骨骨折した2007年12月31日K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!ハニ・ヤヒーラと61kg契約対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカード提示された。

※この「レスリング復帰」の解説は、「山本徳郁」の解説の一部です。
「レスリング復帰」を含む「山本徳郁」の記事については、「山本徳郁」の概要を参照ください。

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