レスリング復帰
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2006年7月23日、レスリングに復帰し、2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する。 2006年12月、スポーツ用品ブランド「リーボック」とのパートナー契約を締結。 2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、首相撲からの膝蹴りでKO勝ち。 2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦でアテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本に対しての発言があった。 2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。 2007年9月17日、総合格闘技復帰戦となったHERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦でビビアーノ・フェルナンデスと63kg契約で対戦。腕ひしぎ十字固めをかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、判定勝ち。試合の1週間前に左手首の豆状骨を骨折した。 2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でハニ・ヤヒーラと61kg契約で対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカードが提示された。
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