リーグの光と影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:07 UTC 版)
リーグの運営に問題がなかったわけではない。有力選手はいてもその実力をサポートするに足る選手がいないこと、懐具合の悪いチームが多いことなどが問題であった。また、例えば、ニューヨークはその適例であるが、NHLのアイランダーズがナッソーコロシアムを占拠していたため、WHAはビジターチームの選手控室すらないほどの小さなアリーナでの興行を余儀なくされた。このようなことから、毎年のようにチームのオーナー交替があり、時にはシーズン途中で閉鎖し本拠地を別の都市に移すチームがあった。チームの財政悪化の原因はつまるところ選手の高額年俸に帰着する。例えば、デレク・サンダーソンはWHA加入時にも多額の金銭を受け取ったが、シーズン序盤で怪我をし長期欠場したにもかかわらず260万ドル(サッカーのペレをも上回る当時のスポーツ界最高年俸といわれる)を受け取っている。 他方、WHAは訴訟によりNHLチームの留保条項を用いた選手の拘束を阻止し、マーク・ターディフ (Marc Tardif) 、ゴーディ・ハウや後年にはフランク・マホブリッチ (Frank Mahovlich) 、ポール・ヘンダーソンらの有力選手獲得に成功した。また、1974年には、WHAは当時NHLが見向きもしなかったヨーロッパ出身選手の獲得にも乗り出し、スウェーデンからはアンダース・ヘドベリ (Anders Hedberg) やウルフ・ニルション (Ulf Nilsson) 、チェコからはVaclav Nedomanskyを加入させた。 日本ではウイニペグ・ジェッツとソ連代表の試合が行われ、ボビー・ハルのスラップ・ショットを日本のファンに見せたことは高レベルのプレーに触れる機会とWHAというものがもう一つのリーグとしてあることを海外にアピールした出来事であるといえる。
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