ライバル店の凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 11:39 UTC 版)
「近鉄百貨店和歌山店」の記事における「ライバル店の凋落」の解説
和歌山市内には当店を入れて百貨店が4つあったほか、マイカルの運営するビブレも営業していた。 特に地場百貨店の丸正は地域一番店であったため、当店の新築移転に危機感を持って対抗策を取った。新築工事のため1988年(昭和63年)4月14日に和歌山市西汀丁に建設した仮店舗での営業に移行し、リムジンによる常連客の送迎を行って顧客をつなぎとめた。1990年(平成2年)10月6日に新本館、1991年(平成3年)10月には北別館を完成させている。同店は売上高を1997年(平成9年)8月期には新館の開業効果もあって約152.67億円まで回復させた。 しかし、当店の再度の増床やバブル崩壊後の消費低迷によって売上が低迷したため、これら投資は重荷となり、2000年(平成12年)6月からは信用不安がうわさされるようになった。別館にあった良品計画(無印良品)をはじめとするテナントの撤退やそれを補う商品補充が困難になったことを理由に、上層階を閉鎖して現金のみでの販売を行うなど危機的な状況に陥り、2001年(平成13年)2月26日に同社は自己破産を行って閉店している。 すでに大丸和歌山店は1998年(平成10年)に撤退していたが、丸正閉店の2か月後にビブレも閉店し、ぶらくり丁からは大型店舗が姿を消した。また、当店に加えて郊外にもイオンモール和歌山など大型商業施設が開業するなどの影響で、2014年(平成26年)には南海和歌山市駅ビルに入居していた高島屋和歌山店も閉店に追い込まれ、当店のみが百貨店として生き残った。 これ以降は和歌山市内、そして和歌山県内でも唯一の百貨店であり、隣接する和歌山MIOとともに市内中心部では数少ない大規模商業施設である。
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