ライバル投手との対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:58 UTC 版)
村田兆治は門田に生涯14本の本塁打を打たれているが、門田について次のように語っている。「あれは昭和48年(1973年)だったか、マサカリが完成してすぐだった。絶対に打たれるはずのないひざ元へのスライダーを門田さんに打たれた。失投ではなくて、完ぺきな球を本塁打にする打者。投げていて緊張感があった。あれから、門田さんにスライダーを投げたことはない。それぐらい悔しかった。」 門田が「永遠のライバル」と称している山田久志は門田に28本塁打を打たれている。山田は門田について、「本物のプロのバッターだった。真っすぐを狙っているところに、真っすぐを投げた。駆け引きが一切ない。インハイとアウトローにすべて直球を投じた。いい勝負ができた。」と証言している。 東尾修は、危ない球をスレスレに投げて、その反対球で打者をかわしていく投手(ケンカ投法)であったが、ある試合の第1打席で、その危ない球が門田に当たった。その報復に門田は第3打席にピッチャー返しを東尾の太ももに直撃させた。東尾がしばらく起き上がれなかったために試合が中断し、この際に門田はマウンドまで出向き「これは1打席目に自分に当てたお返し」であることを告げ、自分に危険な投球をしないよう警告した。東尾はこれを了承して以降、そのような投球をしてこなくなったという。
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