ヨーによる書簡集(1914年)
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「フィンセント・ファン・ゴッホの手紙」の記事における「ヨーによる書簡集(1914年)」の解説
1914年、ヨーが、フィンセントの手紙を3巻にまとめた書簡集Vincent van Gogh, Brieven aan zijn broederを刊行した。基本的には、フィンセントからテオに宛てられた書簡で構成され、1889年の結婚後はヨー宛の書簡も含まれる。また、両親宛の書簡、母宛の書簡も若干含まれる。 ヨーは、その序文の中で、夫テオがパリのアパルトマンの引出しにフィンセントの手紙を遺したこと、テオは出版を志したが実現を見ずに亡くなったこと、その後約24年が経ったが、それは解読と整理に時間を要したためであるとともに、フィンセントが画家としての正当な評価を受ける時期を待ったためでもあることなどを記している。 手紙は、ゴッホが過ごした場所によって時期が分けられている。言語は、ゴッホが書いた言語のまま収録されている。そのため、最初の2巻はオランダ語、第3巻は、パリ時代から始まるため主にフランス語となっている。 ただし、この書簡集は手紙の順序や日付が間違っている場合があることが研究者によって指摘されており、ヨーが人名をイニシャルに変えたり、都合の悪い箇所を飛ばしたり、インクで塗りつぶしたりした形跡もある。 ヨーと出版社(De Wereldbibliotheek 社)との契約は1911年1月18日に結ばれ、当初は、1912年にドイツ語版出版と時期を合わせて出版される予定であった。それが、1914年までずれ込み、2100部が印刷された。出版費用は、ヨーの自費であった。 そして、同じ1914年、ブルーノ・カッシーラーのいとこ、パウル・カッシーラーが、ヨーの書簡集のドイツ語訳を出版した。
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