モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―
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「万国公法」の記事における「モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―」の解説
ここまで取り上げた『万国公法』はいずれも漢字文化圏に伝播したものであるが、モンゴルにももたらされ翻訳された。モンゴル国立中央図書館に収められている“tümen uls-un yerüde čaγaĴa”は、マーティン本のモンゴル語訳である。ただ第一巻一章等ところどころ発見されておらず、必要な箇所のみ翻訳したのか、単に発見されていないのかは不明である。 不明な点はまだある。翻訳者及翻訳時期も判明しておらず、かろうじて1912年末までには翻訳されていることがわかっているのみである。 モンゴルが『万国公法』を導入したのも、国際政治の動向がからんでいる。1911年の辛亥革命によって清朝は倒壊し、それまで支配下におかれていたモンゴルは同年12月1日に独立宣言をし、ロシアなどの列強諸国と直接交渉をせねばならなくなった。大国の圧力に直接さらされるようになったボグド・ハーン政権は、少しでも外交交渉を有利に進めるために『万国公法』をモンゴル語訳したと思われる。そして1912年の露蒙協定交渉では、会談が設定されたペテルブルクにまでモンゴル語版『万国公法』を持参している。 モンゴルは露蒙協定締結以後も、ロシアや中国と外交交渉を重ねていくことになるが、国際法の知識はモンゴルの外交使節にとって早急に身につけねばならないものであった。モンゴルの人々にとっても『万国公法』は必要欠くべからざる書だったといえる(橘2006)。
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