モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―とは? わかりやすく解説

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モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 17:02 UTC 版)

万国公法」の記事における「モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―」の解説

ここまで取り上げた万国公法はいずれ漢字文化圏伝播したものであるが、モンゴルにももたらされ翻訳された。モンゴル国中央図書館収められている“tümen uls-un yerüde čaγaĴa”は、マーティン本のモンゴル語訳である。ただ第一巻一章等ところどころ発見されておらず、必要な箇所のみ翻訳したのか、単に発見されていないのかは不明である。 不明な点はまだある。翻訳者翻訳時期判明しておらず、かろうじて1912年末までには翻訳されていることがわかっているのみである。 モンゴルが『万国公法』を導入したのも、国際政治動向からんでいる。1911年辛亥革命によって清朝倒壊しそれまで支配下におかれていたモンゴル同年12月1日独立宣言をし、ロシアなどの列強諸国直接交渉をせねばならなくなった大国圧力直接さらされるようになったボグド・ハーン政権は、少しでも外交交渉有利に進めるために『万国公法』をモンゴル語訳した思われる。そして1912年の露蒙協定交渉では、会談設定されペテルブルクにまでモンゴル語版『万国公法』を持参している。 モンゴルは露蒙協定締結以後も、ロシア中国外交交渉重ねていくことになるが、国際法知識モンゴル外交使節にとって早急に身につけねばならないものであったモンゴル人々にとっても万国公法』は必要欠くべからざる書だったといえる2006)。

※この「モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―」の解説は、「万国公法」の解説の一部です。
「モンゴル ―周辺諸国への伝播 4―」を含む「万国公法」の記事については、「万国公法」の概要を参照ください。

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