モハメド・ジャブール・アルアファド
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「フル スペクトラム ウォリアー」の記事における「モハメド・ジャブール・アルアファド」の解説
ジーキスタン指導者。第2次世界大戦前、レバノン生まれ。家庭が裕福だったため欧米で教育を受け、1970年代後半、パキスタンを経てアフガニスタンでの戦闘においてムジャーヒディーンの一員として頭角を現す。この際、CIAによる訓練を受けていた。後に逃げ込んだ近隣のジーキスタンにて「ジーキスタン解放戦線(ZLF)」での活躍により英雄視され、西欧諸国の妨害を受けつつも圧倒的な支持を受け実権を掌握した。独裁的な政権を築いた彼は独自の過激な原理主義に基づく政策を推し進め、外国人の排斥・迫害を行い、中でも少数民族ゼキ族に対する虐殺や強制避妊など非人道的な「民族浄化」の動きは、1996年頃より国連でも問題視されるようになった。国際的な非難が高まる中、国連による制裁で貧困や飢餓が増大、これに対しアルアファドは、アメリカによる一連のテロとの戦いにおいてアメリカと対峙したターリバーンやイラク政府支持者などを招聘、隠匿した上でテロリスト養成を開始する。この情報が西側諸国にもたらされ、ついに2004年9月30日、NATO軍がジーキスタン南部への侵攻を開始することとなった。
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