モデルの推察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:34 UTC 版)
三島由紀夫自身の解説には、特定の誰かをモデルにしたという記述はなく、河野壽大尉をモデルにしたのではないかという自衛隊員の読者からの手紙にも、「特定のモデルはおりません」と返信しているという。なお、二・二六事件の後には、叛乱軍の野中四郎大尉や、皇軍の天野武雄少佐などの他、以下のような『憂国』の主人公と同じような自死をした人物もあった。 近衛輜重兵大隊の輜重兵中尉青島健吉(31)が、2月29日朝に自宅である偕行社社宅において妻の喜美子(23)とともに切腹自殺しているのが発見された。事件発生から不眠不休で任務にあたっていたが、消耗が見られたため前日に休養を命じられ帰宅した後の自死だった。 和田克徳著の『切腹』によれば、青島中尉は親友が叛乱軍に加入していたために、相撃つことになることに悩み、「彼等がその行為に責任を感じて速かに自決すること」を待ち望んでいたにもかかわらずに、彼等が「叛乱の汚名を着せられ、明くればどんな事態に立ち至るかも知れぬといふことを考へたあまり、死によつて一切を清算すること」を決意しての夫妻揃っての自決であったという。妻の遺書には「軍人の妻として来るべき日が参りました」と記されている。 三島は、付き合いのあった元青年将校(当時陸軍歩兵大尉)からの指摘を受けて、主人公の所属を「近衛輜重兵大隊」から「近衛歩兵一聯隊」に変更した。事件当時、蹶起に逸る青年将校は歩兵将校が多く、輜重兵などあり得ないとの意見だった。輜重兵では聯隊旗がなく、作中の描写と合わないということも判り、未練はあったが変更した。
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