メンバー間の関係悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 14:07 UTC 版)
「ザ・リバティーンズ」の記事における「メンバー間の関係悪化」の解説
『リバティーンズ宣言』のレコーディングとリリース後のツアー中、ドハーティのドラッグ使用量が大幅に増加していき、他のメンバーとの関係が悪くなっていく。バンドは気難しくなり、パフォーマンスの中にも緊張状態が見て取れるようになった。 2003年5月、ニューヨークで『Babyshambles Sessions』のレコーディングを行う。 バンドへの決意の印として、ドハーティとバラーは腕にタトゥー "Libertine" を入れた。しかし、バラーはドハーティのドラッグとその関係者に嫌気がさし、セッションを途中でやめ、ドハーティはひとりでレコーディングを終えた。セッションはヘレン・スーと呼ばれるファンに与えられ、インターネットで無料公開された(ドハーティが命令したとされている)。 イギリスに戻ると2人の関係はさらに悪くなり、ドハーティはひとりでゲリラ・ギグを行うようになった。バーナード・バトラーをプロデューサーに迎えて「ドント・ルック・バック・イントゥ・ザ・サン」のレコーディングを行うが、ドハーティとバトラーの関係がうまくいかず、ドハーティはめったにレコーディングに現れなかった。 バラーの誕生日が近づいてきた時、ドハーティはバラーとの間の緊張を和らげようと、誕生日を祝う特別なギグを企画した。しかし、バラーはすでに他の友人が開いてくれたパーティへ出席しており、ギグに行くことができなかった。ギグでは、ひとり演奏するドハーティが残された。 バラーがシークレット・ギグに現れなかった後、ドハーティはバンドのヨーロッパ・ツアーへの出発時間に姿を現さなかった。ドハーティはこの時、裏切られたと感じ、バラーと接触するのを拒んでいた。バンドはニックという代わりのギタリストを迎え、ドハーティ抜きでツアーを敢行した。ドイツのライブでは、ザ・クーパー・テンプル・クロースのディズ・ハモンドがボーカルとしてバンドをサポートした。途中ドハーティがパリのギグから合流しようとするが、ドラッグ問題を理由にバンドへ戻ることを拒否される。その間、ドハーティはベイビーシャンブルズとして活動を続けた。7月、バンドはフジ・ロック・フェスティバル出演のために日本へ向かった。バンドが日本に滞在中、怒り取り乱したドハーティがバラーのフラットに機材等を盗みに侵入し、逮捕されるという事件を起こした。 混乱の中、シングル「ドント・ルック・バック・イントゥ・ザ・サン」がリリースされる。ドハーティ逮捕の話題もあいまって全英11位にまで登りつめた。ドハーティの代役にアンソニー・ロッソマンドを迎えてレディング・フェスティバルに出演。9月、ドハーティが住居侵入罪で、2か月の実刑に処せられる。ドハーティの保証人にバラーがならなかったことに、ファンが非難を浴びせた。
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