メリデン時代の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 00:10 UTC 版)
「トライアンフ・モーターサイクル」の記事における「メリデン時代の終焉」の解説
1960年頃から台頭しはじめた日本製オートバイは当初は小排気量車がほとんどだったが、1960年代後半になると大排気量車も登場しはじめ、その性能と品質でトライアンフの脅威となりはじめた。トライアンフとBSAは排気量740cc並列3気筒を搭載するトライデント(BSAではロケット3)を開発するなど日本製大排気量車に対抗したが、1970年代に入っても品質や販売成績で日本製オートバイに優ることはできなかった。 負債を抱え業績が悪化したBSAとその傘下であるトライアンフは、1973年に英国政府の援助でマンガニーズ・ブロンズ(英語版)傘下のノートン=ビリヤース(英語版)と合併、「ノートン=ビリヤース=トライアンフ」(Norton-Villiers-Triumph 、NVT)となった。NVTは1974年に製造の中心をメリデン工場からバーミンガムのBSA社スモール・ヒース(英語版)工場へ移転を計画するが、メリデン工場の従業員達がストライキを起こして「メリデン共同組合」(Meriden Motorcycle Cooperative )を設立、ボンネビルの生産をメリデンで行なうことで工場を存続させる。一方NVTはトライデントの生産が続かずに1977年には倒産、トライアンフの商標権や生産権および資産を共同組合に譲渡する結果となる。だがメリデン共同組合による経営もアメリカ政府のハーレー救済政策による関税高騰も影響してやがて破綻し、1983年にメリデン工場は閉鎖された。
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