メリディアン方面作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 01:40 UTC 版)
詳細は「en:Battle of Meridian」を参照 シャーマンのテネシー軍のうち、チャタヌーガとノックスビルに参戦したのは、第15軍団を中心におよそ全兵力の1/3に過ぎなかった。第17軍団のほとんどは、マクファーソンの下にビックスバーグで他の任務についており、ハールバットの第16軍団はメンフィスにあった。1864年の始め、シャーマンは第16軍団と第17軍団から約20,000名からなる遠征軍を編成し、中央ミシシッピに侵攻して南軍の鉄道網と他のインフラを破壊し、北軍のミシシッピ川の支配をより強固なものとした。この部隊はシャーマン自身が率い、第17軍団の2個師団と第16軍団の2個師団から構成されていた。部隊は2月にビックスバーグに結集し、ほとんど敵の抵抗を受けること無くビックスバーグから330マイル離れたテネシー州メリディアンへと進み、2つの従陣を組んでビックスバーグへ戻った。ハールバットは左従陣、マクファーソンは右従陣を指揮した。部隊は、メリディアンの交通の中心地を2月中旬に破壊した。最近のメリディアン方面作戦の研究によると、これは後の海への進軍に見られる、インフラ破壊というシャーマン及びその部隊の戦術の「最終リハーサル」であった。他の歴史家は、メリディアン方面作戦はシャーマンに「南軍地域内においてでも、軍を危なげなく、また住民に金銭を支払って食料を得ながら行軍させることが可能であり、数千の兵士を犠牲にすること無く戦争を遂行できる」ことを教えたと述べている。メリディアン方面作戦後にハールバットはテネシー軍を離れ、メキシコ湾軍管区(Department of the Gulf)の司令官となった。
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