メキシコシティ五輪での示威行為とは? わかりやすく解説

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メキシコシティ五輪での示威行為

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:34 UTC 版)

ブラックパワー・サリュート」の記事における「メキシコシティ五輪での示威行為」の解説

ブラックパワー・サリュートとして有名なものは、1968年メキシコシティオリンピックにおいてアフリカ系アメリカ人選手トミー・スミスジョン・カーロスが行ったものが有名で、また、近代オリンピック歴史において、もっとも有名な政治行為として知られる1968年10月17日行われた男子200メートル競走において、トミー・スミス優勝米国1983世界記録)、ピーター・ノーマン2位オーストラリア2006)、ジョン・カーロス3位米国2010)になり、同日夕刻表彰式が行われた。 スミスカーロスは、米国における黒人貧困象徴するため、シューズを履かず黒いソックスを履いて表彰式臨んだ。さらにスミス黒人プライド象徴する黒いスカーフを首にまとい、カーロスクー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体によるリンチ受けた人々祈念するためロザリオを身につけていた。一方二人とともに表彰式に臨むことになったノーマンも、表彰式前に二人様子見て行動賛同し二人がつけていた「人権求めるオリンピック・プロジェクト(英語版)(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジ受け取り、胸につけたまた、スミスカーロス片腕着用したグローブは、カーロス自分用のグローブ忘れたのを、ノーマンスミスグローブ2人分かち合うよう提案しスミスが右の手袋を、カーロスが左の手袋をつけた。 表彰式において、三人それぞれメダル授与されたあと、アメリカ国歌演奏され星条旗掲揚されている間中スミスカーロスは、目線を下に外し、頭を垂れグローブをはめた側の握りこぶし高々突き上げた会場観客からは歓声ブーイング巻き起こり、この時の様子世界中ニュースで取り上げられた。 後にスミスは「もし私が勝利しただけなら、私はアメリカ黒人ではなく、ひとりのアメリカ人であるのです。しかし、もし仮に私が何か悪いことをすれば、たちまち皆は私をニグロであると言い放つでしょう私たち黒人であり、黒人であることに誇り持っているアメリカ黒人は(将来私たち今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう。」とこの時のことを語っている。

※この「メキシコシティ五輪での示威行為」の解説は、「ブラックパワー・サリュート」の解説の一部です。
「メキシコシティ五輪での示威行為」を含む「ブラックパワー・サリュート」の記事については、「ブラックパワー・サリュート」の概要を参照ください。

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