メキシコリーグの挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:20 UTC 版)
「1946年のメジャーリーグベースボール」の記事における「メキシコリーグの挑戦」の解説
大戦直後の最初のシーズンで有力選手も次々戻って来た年であったが、メジャーリーグにとって思わぬところから挑戦を受けた年でもあった。メキシコの大富豪ホーヘイ・パスケルらのパスケル兄弟3人が支配するメキシコリーグが大リーグ16球団の支配下選手の獲得を目指して、5000万ドルとも6000万ドルとも言われる資金を使ってメジャーリーガーの引き抜きを行った。この当時中南米各国のプロ野球も盛んになって自国のリーグを構成し、米国内のマイナーリーグから流れる選手がいたが、この当時メジャーリーグに劣らぬ高いレベルの野球を行っていたニグロリーグからも盛んにメキシコリーグに参加する選手がいて、その中には通算本塁打800本を打ったジョシュ・ギブソンやクール・パパ・ベル、レイ・ダンドリッジ、レイ・ブラウンなど後にそれぞれ野球の殿堂入りを果たした選手が在籍していた。 そしてジャイアンツ、ドジャース、セネタース、アスレチックス、ブラウンズから主力級の選手1人ないし数人が引き抜かれていった。一番大きな被害を受けたのはカージナルスで、ラニア投手・マーチン投手・クライン二塁手の主力級を奪われて、リーグ優勝を諦めさせるほど大きなダメージであった。また引退したベーブ・ルースがメキシコリーグに招かれて会長に就任するといった噂まで出た。しかし危機感を持ったチャンドラー・コミッショナーはメジャーリーグ契約を破棄してメキシコリーグに移る者は、以降5年間合衆国内の野球活動を禁止すると言明し、この騒動はひとまず沈静化した。しかし2年後にパスケル兄弟が失脚した後に、メキシコリーグを離れて元のメジャールリーグに戻ろうとした選手がいて、コミッショナーが認めない方針を出すと、選手は訴訟を起こした。
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