メキシコ五輪出場から現役引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/13 15:41 UTC 版)
「佐々木精一郎」の記事における「メキシコ五輪出場から現役引退まで」の解説
若さと勢いでメキシコシティーオリンピックでの活躍が期待された佐々木であったが、五輪レース本番では30㎞から先頭集団より遅れ始め、35㎞付近で棄権するという結果に終わった。このことについて後年佐々木は、五輪代表選考をめぐるごたごたや、自らの不摂生、「優勝しなければ」というプレッシャーなど様々な理由が重なって調整不足となった、と述懐している。 これを境に佐々木のマラソン人生は転機を迎える。1970年には九州電工を退社して神戸製鋼に移籍。実業団駅伝などで選手生活を続けたが、マラソンでは五輪以前の輝きを取り戻すことなく、1978年に33歳で現役を引退した。
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