ミハイルとダニールとは? わかりやすく解説

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ミハイルとダニール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:49 UTC 版)

ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の記事における「ミハイルとダニール」の解説

ru:Междоусобная война в Южной Руси (1228—1236)」も参照 1231年チェルニゴフ公ミハイルキエフ大公位の獲得動きだすと、ダニールキエフ大公にあったウラジーミル助成回った同年、ボロホフツィ族(ru)を加えたハンガリー軍再度遠征軍発し、ベロベレジエ(ru)からスルチ川流域にかけて、さらにはチホムリ、ペレムィシュリの二都市を制圧した。これを見たキエフ大公ウラジーミルダニールから離反した1233年秋、ハンガリーガーリチ公位に据えていたアンドラーシュ死亡しガーリチ公位の称号をも、ダニール手中に収めた。1234年春にベルズ公アレクサンドル捕虜とした(以降史料上にアレクサンドルに関する記述はみられず、獄中死亡した推測されている)。1234年キエフ大公ウラジーミルキエフチェルニゴフ公ミハイルの軍に包囲されダニール援助求めた救援駆け付けたダニールウラジーミルと共にチェルニゴフ公国進軍し講和条約を結ばせた。しかしイジャスラフとポロヴェツ族率い報復攻撃を受け、トルチェスクダニール敗北ウラジーミル捕虜となったキエフ大公位にはイジャスラフが就いた。この紛争の際に、ガーリチボヤーレは、イジャスラフがポロヴェツ族と共にヴォルィ-ニに侵攻したと偽報を発しダニールの弟ヴァシリコをヴォルィ-ニに派遣させた。この機にダニール追放し1235年ミハイルガーリチ公として招聘した。 ガーリチ追われダニールハンガリー身を寄せたこの年ハンガリー王アンドラーシュ2世死亡したため、1235年10月14日ダニールハンガリー王封臣として、セーケシュフェヘールヴァールでのベーラ4世戴冠式参加した戴冠式の後の1235年末、ヴァシリコがガーリチ奪還すべく軍を発した明けて1236年ガーリチボヤーレはボロホフツィ族と共に迎撃に出るが、カメネツ敗北し多く捕虜となったガーリチ公にあったミハイルキエフ大公イジャスラフは、マゾフシェ公コンラト、ポロヴェツ族連合し捕虜引き渡し求めた。しかしコンラト軍はヴァシリコとの戦闘敗れポロヴェツ族離反してガーリチ公国領を荒らし始めた1237年の夏には、ミハイル息子ロスチスラフと共にハンガリー兵を率いたダニールと、ヴァシリコの軍にガーリチ包囲された。ミハイル一時勢力盛り返すが、1238年息子ロスチスラフガーリチボヤーレリトアニア遠征(ru)した際に、ガーリチ奪還された。ミハイルチェルニゴフ撤退した1240年モンゴルのルーシ侵攻が行われ、ミハイルチェルニゴフ公国もまた侵略受けたチェルニゴフ陥落しモンゴル帝国軍はドニエプル川左岸キエフ対岸)に至ると、キエフ降伏迫ったミハイルチェルニゴフ脱しハンガリー退避したこの機に際しダニールキエフ大公にあったロスチスラフミハイルの子とは別人)を追いキエフ入城した。しかしキエフには留まらず軍司令官ドミトルに防衛任せてガーリチへ籠った。バトゥ率いモンゴル帝国軍は、降伏拒否したキエフ陥落させると、ガーリチヴォルィーニ地方へと侵出した。ダニール、弟のヴァシリコらもまた、ハンガリーあるいはポーランドへと退避したモンゴル帝国軍が引き上げたのち、ミハイルキエフ戻りモンゴル帝国指示によって息子ロスチスラフ交代させられる1243年まで、キエフ統治したダニール、ヴァシリコらはガーリチヴォルィーニへ、ミハイルの子ロスチスラフチェルニゴフ戻り、自領の統治再開した

※この「ミハイルとダニール」の解説は、「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の解説の一部です。
「ミハイルとダニール」を含む「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の記事については、「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の概要を参照ください。

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