マーチ・842をベースとしたマシン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 11:41 UTC 版)
「マーチ・842」の記事における「マーチ・842をベースとしたマシン」の解説
1980年前後から、欧州F2選手権では、観客数の減少が始まった。それに合わせて、参戦にかかる経費が急騰するようになった。 特にホンダの参戦により、ホンダはBMWよりエンジン出力で優位にあり、BMW勢はホンダに対抗するため、のきなみ高回転域を多用することでかろうじて対応していた。 この結果 BMWエンジンは、耐久性を落とし、エンジンのメンテナンスコストが高騰し、エンジンチューナにその費用を払うことができないチームが発生するような事態が発生した。 このような事態から脱するために、エンジンの回転数制限のアイディアが出てきた。具体的には、F1サイドからの働きかけにより、ターボ付1500ccエンジンの登場によりF1チームの中で余剰になった従来使用していたNAの3000ccのDFVの回転数を抑制(最大回転数9000rpm)して使用することでエンジン費用を削減する案を実施するようになった。 エンジン規定がF2から大幅に変更になったので、この新しいフォーミュラーレースの名称は、3000㏄のエンジンを使用するフォーミュラーリブレということでF3000という名称が与えられ、1985年から欧州で開催されるようになった。 一方 日本では、JAFが現行のF2規定を4年間継続することを決めたので、ヤマハが1985年からF2選手権への参戦し、使用希望者に対して、レンタル供給を行うことを表明した。その結果 日本では、F2選手権をヤマハの供給期間中継続(1985年と1986年の2シーズン)することになった。 このように日本と欧州とで、F2選手権への対応が異なったので、両地域からマシン供給の依頼を受けるマーチは、1985年のマシンを両カテゴリーに対応した共用マシンの製造が必要となり、1984年のマシンのマイナーチェンジで対応を行った。
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