マルチコア・プロセッサの歴史とは? わかりやすく解説

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マルチコア・プロセッサの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:27 UTC 版)

マルチコア」の記事における「マルチコア・プロセッサの歴史」の解説

1999年IBM商用サーバ向けプロセッサデュアルコアPOWER4発表しCPUマルチコア化をリードした2004年5月にはインテル従来Pentium 4高速版でシングルコアCPU開発コードTejas」の開発中止決定したことが伝えられた。同じ頃、AMD同社計画から次世代K9K10などシリーズ以降高速CPU開発全て中止した。なお現在では、K8シリーズマルチコア化の強化という新たな方向性製品化したものK10としている。 2005年になってAMD当初から消費電力抑えマルチコア化を見越したK8アーキテクチャ設計行いデュアルコア製品の提供を開始した製品名Dual-Core OpteronAthlon 64 X2(→Athlon X2)である。インテルは、マルチコアCPU市場投入出遅れカバーするために、単純に2つCPUダイ (Die) を1つパッケージ封入したマルチコア・マルチダイ形式をとり、マルチコア・チップを早く出荷するというアプローチ取った製品名ではPentium Dなど。近年では逆にAMD設計単純なマルチダイのOpteronチップ出荷する一方でIntelCPUコアモジュール化によって派生ダイ製造容易にし、リングバスの導入によりコア数の増減容易にしているため、マルチダイの手段を取っていない。また同じ2005年にはサン・マイクロシステムズサーバ向けプロセッサUltraSPARC T18コア実現した。 このほかPower Architecture系では、2006年リリースCell8コア2010年リリースPOWER78コアである。

※この「マルチコア・プロセッサの歴史」の解説は、「マルチコア」の解説の一部です。
「マルチコア・プロセッサの歴史」を含む「マルチコア」の記事については、「マルチコア」の概要を参照ください。

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