マルギット橋とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > マルギット橋の意味・解説 

マルギット‐ばし【マルギット橋】

読み方:まるぎっとばし

Margit híd》ハンガリー首都ブダペスト流れドナウ川架かる西岸ブダ地区東岸ペスト地区を結び、中州にあるマルギット島南端接する。1870年代建造

マルギット橋の画像
撮影・qyphon http://goo.gl/iFTFI

マルギット橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 16:27 UTC 版)

マルギット橋
橋の航空写真
マルギット橋の位置(赤色部)
基本情報
 ハンガリー
所在地 ブダペスト
交差物件 ドナウ川
用途 道路橋(2車線)
設計者 エルネスト・ゴウアン
着工 1872年
竣工 1876年
座標 北緯47度30分53秒 東経19度02分37秒 / 北緯47.51472度 東経19.04361度 / 47.51472; 19.04361座標: 北緯47度30分53秒 東経19度02分37秒 / 北緯47.51472度 東経19.04361度 / 47.51472; 19.04361
構造諸元
全長 637.5 m
25 m
地図
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

マルギット橋ハンガリー語: Margit híd)は、ハンガリーブダペストにある、ドナウ川にかかる橋。ブダ地区とペシュト地区を結んでいる。この橋はブダペストで2番目に北にあり、また2番目に古い橋である。

概要

この橋の両端はヤーサイ・マリ広場(ナジケルートの北端)とゲルマヌス・ギュラ公園(センテンドレ行きのブダペスト郊外電車の停留所)となっている。また、この橋はマルギット島を経ており、マルギット島の両側で橋が165度の角度で曲がっている。全体の長さは637.5m、幅は25mである。

歴史

建設

この橋はフランスの技師エルネスト・ゴウアンによってデザインされ、バティニョール製造会社によってエミーレ・ヌギエの監督の下、1872年から1876年にかけて建設された。現在、マルギット橋はブダペストでは1つ下流側にあるセーチェーニ鎖橋に次いで古い橋である[1]。この橋はマルギット島の両側で165°の角度をなして曲がっているが、この形になった理由は、途中でマルギット島へ下りる部分の建設が当初から予定されていたものの、資金不足により20年後まで建設されなかったことによる。

第二次世界大戦

ブダペストの全ての橋は第二次世界大戦時、ドイツ国防軍の工兵隊が1945年1月ブダ側への退却時に破壊した。ただしマルギット橋は1944年11月4日にすでに偶然の爆発によって橋の東半分が倒壊しており、その際には600人の市民と40人のドイツ兵が死んでいた。再建に際しては、その壊れる前の橋の鋼材が川底から引き揚げられ、材料として用いられた。

2009年–2010年

再建後のマルギット橋

マルギット橋はブダペストで最も使い古された橋で、2009年8月21日から精密検査がなされた。2009年内には道路交通を遮断し、トラムのみが橋の上を運行した。

その工事は現在は終了しており、現在では歩行者、道路交通、トラムの全てが橋を再び通行することが出来る。

文化

橋が落成されてすぐに、この橋は人々の個人的及び経済的な問題を引き受ける場所となり、つまり自殺者が多く出た。アラニ・ヤーノシュはこれに感化され、彼らに対するバラッドを作った。それはリーフレットで広く知られるようになり、ジチ・ミハーイの挿絵と共に紹介された。

ギャラリー

脚注

  1. ^ 『ウィーン プラハ・ブダペスト 2016 まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、99頁。ISBN 978-4-398-28119-7 

関連項目

  • トリッジ

外部リンク


マルギット橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:44 UTC 版)

ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事における「マルギット橋」の解説

詳細は「マルギット橋」を参照 マルギット橋は世界遺産登録対象3つのの中では、最も上流位置している。1876年建設されアーチ橋で、ほかの同じよう第二次世界大戦中ドイツ軍破壊され、のちに忠実に復元された。 マルギット橋はすぐ北のマルギット島つながっている。その島はバラ園日本庭園小さな動物園なども備えた公園になっており、ハンガリー政府観光局も「市内でもっとも価値のある公園と言われていることを紹介しているが、世界遺産含まれているのはその南端だけである。マルギットの名はベーラ4世息女マルギットからとられている。彼女は父王が島に建てた修道院入れられ二度とモンゴルの襲来ないようにという祈りのために生涯捧げた。 マルギット橋 マルギット橋

※この「マルギット橋」の解説は、「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の解説の一部です。
「マルギット橋」を含む「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事については、「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「マルギット橋」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マルギット橋」の関連用語

マルギット橋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マルギット橋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマルギット橋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS