マグレディ・カーターの時代
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「トロント・ラプターズ」の記事における「マグレディ・カーターの時代」の解説
1997年のNBAドラフトにおいてラプターズは、全体9位で高卒ルーキーのトレイシー・マグレディを指名。しかし、彼をはじめとする数々の若手選手の育成に力を注いできたトーマスが、新しい経営陣との対立によって辞任。グレン・グランウォルドが後任に就いた。これによりクラブは方針転換を余儀なくされ、1998年2月13日にはスタウダマイアーを大型トレードでポートランド・トレイルブレイザーズに放出した。このシーズンは怪我人が続出したこともあり、16勝66敗で終了。 1998-99シーズン前のオフには、ドラフト1巡目全体5位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されたヴィンス・カーター(トレイシー・マグレディのいとこでもある)を、全体4番目に指名していたアントワン・ジェイミソンとのトレードで獲得。さらにこのオフに、プレーオフでの経験も豊富なベテラン・チャールズ・オークリーをキャンビーとの交換で、またケビン・ウィリスをトレードで、それぞれ獲得した。このトレードは将来の成長が見込まれる若手と先の短いベテランとをトレードとしたと解釈され、大きな損失だと評価されたが、特にオークリーの優れたリーダーシップは、若手の多いチームにおいて十二分の効力を発揮した。一方で、ダグ・クリスティが守備的なポイントガードへと成長し、アルヴィン・ウィリアムスの活躍で攻撃力もアップした。さらにもう一人のベテランのウィリスも、センターをがっちりと埋めた。ポイントガードとセンターに穴のあったチームは彼らのおかげでそれまで以上に勝てるようになり、新任のヘッドコーチ・ブッチ・カーターの薫陶を受けたマグレディ達若手も大きく成長した。チームはプレーオフには進出できなかったが、新人王になったカーターやマグレディの存在もあり、将来を期待されるチームになった。ロックアウトで短くなったこのシーズンは23勝27敗と5割目前だった。 1999-2000シーズン前には、ドラフト全体5位の指名権と交換でアントニオ・デイビスを獲得し、さらにインサイドを補強した。チームはこのシーズン、カーターを中心に躍進し、45勝37敗と初めて勝率5割を超え、チーム初のプレーオフ進出を果たしたが、ニューヨーク・ニックスに3戦全敗を喫し敗退。 翌2000-01シーズン、マグレディとカーターを中心にチームはさらに発展するものだと思われていたが、先のプレーオフ敗退後、エースの座を巡って2人が対立してしまう。結局開幕前に、マグレディがフリーエージェントでオーランド・マジックへ移籍。さらにクリスティもトレードによりサクラメント・キングスへ移籍と主力がごっそり抜けたが、ガードに迎えたベテランのマーク・ジャクソン(シーズン途中にクリス・チャイルズとトレードした)、新監督のレニー・ウィルケンズの尽力により、47勝35敗と前年を上回る好成績を残した。プレーオフでは、昨年破れたニックスにリベンジを果たして初の1回戦勝利を上げた後、NBAファイナルまで進出することになるフィラデルフィア・セブンティシクサーズと好勝負を演じたが、3勝4敗で惜敗。第7戦はわずか1点差での敗戦だった。 その後チームは、“ドリーム”の異名を持つ名センター・アキーム・オラジュワンを獲得するも、そのオラジュワンは衰えと腰痛で戦力にならなかったうえ、エースのカーターに負傷が相次いだこともあり、チームは再び低迷を余儀なくされる。
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