マグダラのマリアの法悦 (ルーベンス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/20 00:32 UTC 版)
| フランス語: Sainte Marie Madeleine en extase 英語: Saint Mary Magdalene in Ecstasy |
|
| 作者 | ピーテル・パウル・ルーベンス |
|---|---|
| 製作年 | 1619-1620年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 295 cm × 220 cm (116 in × 87 in) |
| 所蔵 | リール宮殿美術館、リール |
『マグダラのマリアの法悦』(マグダラのマリアのほうえつ、仏: Sainte Marie Madeleine en extase, 英: Saint Mary Magdalene in Ecstasy)は、17世紀フランドル・バロック期の画家ピーテル・パウル・ルーベンスが1619-1620年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。ヘントのレコレ派教会 (現存しない) のために描かれた[1]が、1794年にフランス革命中にフランスに接収され、パリに送られた。1801年に作品は設立されたばかりのリール宮殿美術館に割り当てられ[2]、現在も同美術館に所蔵されている[1]。
主題
「洗礼」こそ真の「悔悛」の秘蹟であるとして「悔悛」の意義を否定したプロテスタントに対して、対抗宗教改革期にカトリック側はこの「悔悛」の主題を称揚した。そして、この主題に最もふさわしい聖人として取り上げられたのが聖ペテロとマグダラのマリアである。娼婦であったマグダラのマリアは、人間の普遍的な罪を一身に担う存在と考えられた。彼女は、イエス・キリストが熱心党のシモンの家に食事に招かれた際、「香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った」(「ルカによる福音書」:第7章37-38)。彼女は熱烈な愛情と不変の忠誠をキリストに捧げたのみならず、キリストの磔刑と埋葬に立ち会い、最初にキリストの復活を発見した人物でもある[3]。
作品
作品は、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』中の逸話を表している。晩年のマグダラのマリアは、山の中に天使たちが準備した洞窟に隠遁した[1]。30年間、飲食を絶ったが、毎日天使たちが彼女に天国の合唱団の歌を聞かせるために彼女を天に運び上げては、法悦状態の彼女を洞窟に連れ戻した[4]。通常描かれるように、マグダラのマリアは自身の悔悛を示すために半身裸体で、長くほどけた髪を持つ姿で表されている。彼女のアトリビュート (人物を特定する事物) の香油の壺と髑髏 (瞑想の対象) [1]が彼女の足元に見える。
ルーベンスは、伝統的にマグダラのマリアを昇天する姿で表す慣例から逸脱した最初の画家の1人である。ジョヴァンニ・ランフランコの『天使によって空に運ばれるマグダラのマリア』 (カポディモンテ美術館、ナポリ) に見られるように天使たちによって天に連れていかれる代わりに、法悦状態の彼女は、天使たちに支えられて地面に横たわった姿で描かれている[1]。ルーベンスは、アビラのテレサの著作に感化されたのかもしれない。17世紀初めに非常な名声を博したテレサは、法悦状態になると目は見えなくなり、四肢はぐったりとし、身体は冷たく、血の気をなくすと述べている[4]。
脚注
参考文献
外部リンク
- マグダラのマリアの法悦_(ルーベンス)のページへのリンク