聖ステファノ三連祭壇画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/22 00:05 UTC 版)
| フランス語: Triptyque de saint Étienne 英語: Saint Stephen Triptych |
|
| 作者 | ピーテル・パウル・ルーベンス |
|---|---|
| 製作年 | 1616-1617年 |
| 種類 | 板上に油彩 |
| 寸法 | 437 cm × 278 cm (172 in × 109 in) |
| 所蔵 | ヴァランシエンヌ美術館、ヴァランシエンヌ |
『聖ステファノ三連祭壇画』(せいステファノさんれんさいだんが、仏: Triptyque de saint Étienne、英: Saint Stephen Triptych)は、17世紀フランドル・バロック期の画家ピーテル・パウル・ルーベンスが1616–1617年に板上に油彩で制作した絵画である。ヴァランシエンヌ近くのベネディクト会サンタ=マン修道院 (Saint-Amand Abbey) の高祭壇のために制作された[1]。フランス革命中に接収され、現在、ヴァランシエンヌ美術館に所蔵されている[1]。
主題
聖ステファノはイエス・キリストと同じ年かその少し後、ティベリウスがローマ皇帝であったころに殉教したと信じられている。彼はエルサレムの最高法院でイエスの栄光を説き、イエスを殺害した人々を糾弾した[2]。それを聞いたユダヤの人々は憤慨し、彼らの慣習にしたがってステファノを町の城門で石打ちの刑に処した[2][3]。その間、彼の顔は輝きに満ち、彼は神に「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」 (「使徒言行録」 7:54-60) と処刑者たちを許すよう懇願した[2][3]。聖ラウレンティウスとともに、聖ステファノは聖なる助祭殉教者のグループに属しており、その生涯の諸場面は中世以来の美術に頻繁に取り上げられてきた。中でも石打ちの殉教の場面は、鑑賞者に自身の信仰心の強さを量らしめる試金石として、教会にとみに好まれた主題である[2]。
作品
本作の中央パネルは「聖ステファノの石打ち」を、そして左右両翼パネルはそれぞれ「聖ステファノの説教」と「聖ステファノの埋葬」を表している。祭壇画が閉じられると、左右両翼パネルの外側は「受胎告知」の場面を形成する[1]。「聖ステファノの石打ち」では、聖ステファノの殉教の場面が描かれている。聖ステファノは処刑者たちの一連の動作のなかで回転しているようであり、画面には動きの感覚が生み出されている。処刑者たちの歪んだ表情は、聖人の恍惚とした表情と対比されている。「使徒言行録」にあるように、彼は、父なる神と子であるイエス・キリストがいる天国を垣間見ているのである[1]。
左側のパネルはモニュメンタルであると同時に静的で、聖ステファノが説教している場面を描いている。古い律法のラビたちは、真の宗教の寺院を指し示す聖ステファノと対峙されている。右翼パネルは、聖ステファノの埋葬の場面である。力強い情景、激しい色彩、リアルな遺体、登場する女性たちは、ルーベンスが描いた多くの埋葬場面を想起させる。左右両翼パネルの外側は受胎告知を表す。右翼パネルに描かれている大天使ガブリエルの周囲を飛翔する天使たちは、若き日のジャン=バティスト・カルポー (19世紀フランスの彫刻家) を魅了せずにはおかなかった[1]。
ルイ15世時代の旅行者ジャコブ・二コラ・モロー (Jacob Nicolas Moreau) は、この祭壇画について以下のように述べた。
「開かれた天国を見たように確信した。それほど、私は色彩の美しさに打たれ、この賞賛すべき絵画の新鮮さに打たれたのである」[1]。
脚注
参考文献
- 『プラド美術館展 スペインの誇り、巨匠たちの殿堂』、東京都美術館、国立プラド美術館、読売新聞東京本社、日本テレビ放送網、美術館連絡協議会、2006年刊行
- 国立プラド美術館『プラド美術館ガイドブック』国立プラド美術館、2009年。ISBN 978-84-8480-189-4。
外部リンク
- 聖ステファノ三連祭壇画のページへのリンク